ゆがみや重なりにはこだわらず,祖本の構図をそのまま写そうとした跡が認められる。また人物の衣の線についても,全体に簡略であること,また袖口や裾の重ねを表わす線が非常に乱れ,意味を失っている場合もままある。また白描本では,淡墨の使用が多く,しかも簡略な文様を施した御簾の帽額や縁の上,琴などの器物,建物の一部,流水や土披,岩,樹木の幹,霞,月など広範にわたって色の代わりをするように使用されていること。更に,祖本には本来描き込まれていたはずの彩色文様を省略したために,白描本では人物の衣の各部分の前後関係が不分明になってしまったと考えられる。こうした根拠によって,祖本は彩色本が推測される。しかしその線描は,訓練された専門の画家による正統的なすみがきの技法とは,かなりの隔りが認められる。従来先学によって指適されているように,職業画家の手になったと言うよりは,画事に巧みな貴族の手すさびになる作品である可能性が大きいと考える。そもそも12世紀の物語絵に類する小画面の世俗画遺品を検討してみると,必ずしも濃彩,つくり絵の手法を用いて制作された作品ばかりではないことに気が付く。例えば上野家蔵「法華経冊子」は,彩色が施されてはいるものの,画面によっては線描本位と言ってもよく,当時のすぐれた専門画家によるすみがきの技量をうかがい得る。そこに見られる線描は,国宝「源氏物語絵巻」の剥落によって現われた下描きや,描写の対象によっては,「信貴山縁起絵巻」の,柔かく伸びやかであると同時細心のコントロールが行き届いた線描に呼応しているように思われる。そしてその性質は,いわゆる「目無し経」下絵,さらに鎌倉時代,13世紀半ば以降盛んになる白描やまと絵へと継承されていくものと考える。この問題については,現在考察を進めている最中であるが,この「白描伊勢物語絵巻」は,前述の流れの中では異質であり,白描画法としての成熟は認められないながら,素朴な力強さと,大らかな味わいがあると言えよう。次に白描本の画面構成の特色について検討を加えた結果を述べたい。その際の観点として第1に挙げられるのは,屋台の構図法である。12世紀から13世紀にかけての世俗画において,空間構成の基本とも言える建築と画面の枠組みとの関係という点から見た場合,その構図法は,二種類に大別される。第1の方法は建物の間口と奥行を現す二つの軸のうち,間口が水平に,つまり画面の上下枠と平行して置かれ,もう一方の奥行を現す軸が前者の水平線と斜めに交差して置かれるものである。これに対して第二の方法は間口,奥行の二軸が画面の枠に対して共に斜めに構えられたものである。この二つの構図法に照らして,平安末期から鎌倉時代にかけて制作された物語絵に類-145-
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