鹿島美術研究 年報第4号
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ベイ4. 1985, pp, 397-412)に対する反証となるばかりでなく,騎士道文化が広くポー川1854年,同礼拝堂の白色漆喰で塗り込められた壁面の下からPietroN aninによってX III, 1907, pp. 152-170)によって,この壁画は礼拝堂の施主パオロ・フィリッポ・グーラの新出壁画作品を実見する必要性を感じた。作品は目下修復中か,もしくはそれらを擁する建物の改築工事のために一般には全く公開されてはいないが,フェラーラ市立美術館々長アンナ・マリーア・ヴィッセル女史の格別の計いによって,友人・パドヴァ大学中近世美術史助教授エンリカ・コッツィと共に実見し,加えて,発見もし〈は修復作業の過程で撮影された写真及びスライドを発注することができた。フェラーラでこうした騎士道をテーマとする壁画がが発見されたことは,マントヴァ公爵宮「ピサネルロの間」の壁画をマントヴァ公爵ゴンザーガ家に特有の文化的風土の産物と看倣す最近の論文(J.Woods-Marsden, "French chivalric myth and 流域に15世紀半ばまで存続していた可能性を示唆するずれ,この問題については,他の機会に詳しく論じたい。先述したヴェローナでの壁画調査及び写真撮影に戻って,紙面の都合上サンタ・マリア・デルラ・スカラ修道院教会のジョヴァンニ・バディーレの壁画調査から得られた新たな知見についてだけ簡単に述べてお〈。サンタ・マリーア・デルラ・スカラ修道院教会グアンティエーリ礼拝堂(別称,聖ヒエロニムス礼拝堂)の壁画聖者伝を描いた壁画群が発見された。その後しばらく壁画は聖フィリッポ・ベニッツィの生涯を描いたもので,作者はステーファノ・ダ・ヴェローナであると,C.Bernasconi て考えられていた。だが1907年,L.Simeoniの古文書学的研究("Gli affreschi di Giovanni Badile in S. Maria della Scala di Verona", in N uovo Archivio Veneto, アンティエーリの墓碑装飾と共に,1444年5月までに完成させること,更に,上等の顔料を使用すること,という条件付きでジョヴァンニ・バディーレに1443年7月16日に注文されたことが明らかとなった。加えて,その契約文書には,礼拝堂を飾る壁画の主題は聖ヒエロニムス伝とすると明記されている。現存する壁画のうち,礼拝堂の奥半分に当る径間に描かれた場面のいくつかは,聖ヒエロニムス伝に取材していることは確実であるが,礼拝堂前半分の径間の(入口より向って)左壁に描かれた場面はな資料となるであろう。いMautuan Political reality in the~'" in~'vol. 8 -n. (Studi so~ etc., Verona 1865, p. 229)らによっ-152-

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