鹿島美術研究 年報第4号
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del ~'Novara 1953, p. xx ; R. Pallucchini,比し12.itturaveneta del Quattirocento. Il Gotico, internaziona.l~ ~gli i11izi del Rinascimento, Bologna 1956, p. 162)。例えば,幼い聖者を司教(?)に紹介する貴公子1)は,ミケリーノ他の聖者伝に取材している可能性が高い。問題の契約文書の中には,空白部分があり,その箇所に他の聖者伝を描くようにという指示が記されていたことが十分に考えられるからである。また他の文書に依れば,1443年12月に画家ジョヴァンニ・バディーレは壁画装飾の代金150ドウカートのうち100ドウカート分の代償として,注文主の債務者ミケーレ・フラッタ某の店舗の半分を受け取っている。こうした事実から,この壁画装飾は1443年の契約文書に記された期日1444年5月までに完成されていた可能性が高い。今回の写真撮影は費用の面から全場面を撮影することはできなかったが,それでも,以下のような研究史上極めて重大な新知見を得ることができた。ジョヴァンニ・バディーレによるこの壁画の様式については,ステーファノ・ダ・ヴェローナ,ミケリーノ・ダ・ベゾッツオ,及びモンツァの大聖堂テオドリンダ礼拝堂壁画の作者ザヴァッターリ一族(SandbergVavala説)の影聾が論じられているが,上記のうち,1410年にヴェネト地方を訪れたミケリーノ・ダ・ベゾッツオの影粋がもっとも顕著であることを確認できた。(この点に関しては,L.Colletti. La図tturaveneta がヴィボルドーネ修道院に描いた壁画中の聖ロレンツオや,同画家の手になる1403年の写本『ジャン・ガレアッツオ・ヴィスコンティのための告別式文』中のくアフロディーテーと,アンキーセースを結婚させるゼウス〉に描かれたアンキーセースに類似し,また同写真中の老人の容貌はミケリーノに独特の老人の容貌表現をジョヴァンニが独自にカリカチュア風に解釈したものと考えられる。更に先述の貴公子にみられる色彩感覚は,近年ミケリーノの作に帰されたティエーネ家礼拝堂のルネッタ内の二壁画(ヴィチンツア,サンタ・コローナ聖堂)のそれに非常に近いと思われる。いずれにせよ,ミケリーノとの関係についてはティエーネ家礼拝堂の壁画の写真撮影も含め,今後掘り下げた研究を行うつもりでいる。以上のような画家たちとの影特関係の他に,ジョヴァンニ・バディーレの壁画には,ピサネルロとの関係を示唆する場画がある。この点こそ,筆者が同壁画の調査と写真撮影を計画する動機となった。また壁画は,1965年にヴェローナ地区記念建造物保存局によって洗絲修復が行われた後に,イタリアConsiglioN azionale delle Ricercheの-153-

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