オマージュモルフォロジカルnello : precisazioni, in Arte Veneta, xxl 1977, pp, 170-171)があるが,そこでは,科研費による写真撮影が現パドヴァ大学教授FrancescaD'Arcais女史によって実施されてはいるものの,写真ネガの所在が不明となり,写真の入手が不可能であったからでもある。グアンティエーレ礼拝堂には窓が2つあるが,窓の縦隅切の中央部分に,各々一つずつメダイヨンがモノクロームで描かれている。それらのメダイヨンには,ピサネルロの手になる四種のメダルのコピーが描かれている。すなわち奥壁窓の左隅切に『ビザンチン皇帝ヨハンネス八世のメダル』(写真2)'右隅切に『フェルラーラ公爵リオネルロ・デステ公のメダル』(写真3)'右側壁に開けられた窓の左隅切に『リミニ公シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタのメダル』(写真4)'右隅切に『ニコロ・ピッチニーノ将軍のメダル』(写真5)が描かれている。これら4肖像メダイヨンに関しては既に研究論文(R.Zebbato, "Giovanni Badile copia quattro medaglie del Pisa-ピサネルロの4メダルの制作年代を推定するのに1443-44年という制作年代がほぼ確定できるジョヴァンニ・バディーレのメダイヨンが援用されているにすぎず,両画家の影特関係については,「地方画家ジョヴァンニ・バディーレは,同郷の大画家ピサネルロに対する献辞としてこの大画家の手になる著名な4君公のメダル肖像をここに模写したのである」という程度にしか考えられていなかった。確かに,同礼拝堂のジョヴァンニ・バディーレの壁画の中にピサネルロ芸術の,とりわけ,形態学的な影評があることは漠然と指摘されてはいるが,その問題を掘り下げた研究者は皆無であった。筆者は,写真撮影のために足場の上にのぼっていた時,(写真6)が示す場面の中に,マントヴァ公爵宮「ピサネルロの間」に描かれた天蓋の下のかの有名な貴婦人(写真7)を左右反転された貴婦人を発見した。先述の,ピサネルロのメダルとジョヴァンニ・バディーレの窓枠のメダリヨンとの関係と相侯って,両者の貴婦人の間にみられるこの紛うことのない容貌上の類似を根拠にジョヴァンニ・バディーレがマントヴァ公爵宮「ピサネルロの間」の壁画装飾のために,ピサネルロの助手,もしくは共作者として働き,ピサネルロのメダルのための下絵素描ばかりでなく問題の貴婦人の素描をも入手し,それらの素描を基に,先述のメダイヨン及び問題の貴婦人をグアンティエーリ礼拝堂に描いたと筆者は確信をもって推定する。この新たな知見によって,筆者が拙論「ピサネルロ研究再考(l)」(東大美術史研究室-154-
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