鹿島美術研究 年報第4号
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Zavattari in Castel Sant'An筵虹Firenze1984, p. 22)もまた,この断片のローマ来紀要第2号所収)の中で提唱した。「ピサネルロの間」におけるピサネルロの共作者の存在,及び壁画の制作年代をジャン・フランチェスコ,ゴンザーガ公の没年1444年以前とする仮説はほとんど反駁の余地のない傍証を得ることになるであろう。更に,壁画の同写真場面に登場する鷹を左手にとめた貴公子の奇抜な風態は,ピサネルロの手に帰されているパリのFrits• Lugt ・コレクションの一素描『鷹を左手にとめてロバに乗る貴公子』に見事に符号するばかりでなく,両者に共通の奇抜の被り物を戴く騎士は,「ピサネルロの間」のシノピアのうち,筆者がピサネルロの共作者の手に帰した山岳風景のためのシノピア部分にも現れている。以上のような観察からも,ジョヴァンニ・バディーレがピサネルロと共にマンドヴァ公爵宮で働いたことは,ほぼ動しがたい事実となろう。ただ,この新知見によって,現在のローマのヴェネツィア宮美術館所蔵の壁画断片の制作地及び作者同定の問題が再び浮び上ってきた。この壁画断片には,「ピサネルロの間」の先述の貴婦人に酷似する貴婦人が描かれているのであるが,多くの研究者は,この断片をピサネルロがジェンティーレ・ダ・ファヴリアーノを引継いでローマのサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノに描いた『洗礼者聖ヨハネ伝』の壁画の一部であったと想像している。しかし,この推定は1922年3月22日に同断片を売りに出したローマの古物商B.Tartagliaの証言に依拠したものにすぎず,何ら確証がある訳ではない。近年ローマ大学教授AntonioCadei On Catalogo della mostra : ~li 歴説に疑問を抱き,むしろ技法的にマントヴァ公爵宮の貴婦人に一層近いことを指摘しているが,筆者も同感である。従って,この壁画断片はマントヴァ公爵宮から由来した可能性もある(元マントヴァ美術文化財総監であったIllaria T oesca女史が同様の見解をローマのヴェネツィア宮美術館々長M.Letizia Casanova Uccella女史にもらしたことを後者から個人的に聴いている)。いずれにせよ,この一種独特の憂愁を湛えた魅惑的な貴婦人の容貌は,ピサネルロ芸術の精華ともいえるもので,恐らく精緻な下絵素描が作られていたと思われる。従って,ピサネルロの身辺で共に制作に従事したジョンァンニ・バディーレが,自分の壁画の中に,その素描に基づいてこの貴婦人のコピーを描き込んだのは,至極当然の成行であったと考えられる。以上の新発見については,1987年2月28日(土)に予定されている美術史学会東支-155-

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