0足利義輝像天正5年(1577)策彦周良著賛絹本著色国立歴史民俗博物館蔵1. Aは筆勢や肥痩のない描線であるのに対しBは自由で速い筆致である。2. Aは像主名,年紀を丹念に書くのに対し,Bは像主名以外に書き込みが少ない。3.鼻,唇指先など細部の形状がAとBは異なる。3.本画の作例なお紅屋宗陽は天正11年(1583)闘所となり逐電しており,この紙形は「宗閑像」と共にそれ以前に制作されたものとなる。「宗閑像」を天正7年の死に求めるならば,その制作期間を天正7■11年と考えることもでき,従って久翌グループの「宗閑・たしゅく像」「宗陽像」は玄ニグループの「義継像」「天竺像」に10年程しか遅れないことが判明する。そこで「義継像」「天竺像」をA,「宗閑・たしゅく像」「宗陽像」をBとし,両者を比較すると次のような相違点が認められた。これらは10年の歳月や像主の身分の違いを勘案しても,一人の画家の変化に帰するにはかなりの隔たりがある。少な〈とも作風の上で同一画家のものと積極的にいえるものは見出せないのである。グループと久翌グループには,本画と思われるものがそれぞれ1点ずつ存在した。本図は『土佐家資料』の紙形と全く同一の図様を示しており,紙形の花押から玄二の筆になると考えられる。細部は「天竺像」同様,目は茶系の顔料で塗り,まつ毛を荒く描く。着衣の彩色,文様は京都芸大紙形に記された注記と一致する。本図は義輝の十三回忌に制作され,晩年の周良が著賛したものといえる。次に久翌の本画と考えられる肖像について述べる。0石田正継像文禄3年(1594)伯蒲恵稜著賛絹本著色寿聖院蔵本図は「泉州殿像」「今井宗久像」紙形と多くの類似点があり,「泉州殿像」年紀と著賛年は3年しか隔たらない。毛描きは繊細で目は灰色,画貌の描写は写実的で像主の特徴を良くとらえる。全体から受ける印象は「義輝像」が堅く平板なのに対し,「正継像」は柔く立体的である。透けた着衣は前者が濃墨の輪郭線を用いて堅さを感じさせるのに対し,後者の輪郭線は地色に溶けこみぼかしも自然である。面貌の彩色も前者の隈取りが形式化し平板なのに対し,後者は写実的で立体感がある。前者は様式を順守しようとするのに-167-
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