この問題の一層具体的な検証を今後も更に継続して行いたいと考えている。(23) 南北朝より唐代に至る大陸神将形像の服制・甲制の展開とその日本に及ぼした影響について研究者:東京芸術大学美術学部非常勤講師松田誠一郎調査研究の目的:日本の古代美術史の研究を進めてゆく上で,作品の編年を行うことと,大陸との関係を明らかにすることは,現在の研究段階においては最も重要な課題である。そして,この課題に対し,基準作例や文献史料に限りのある当分野においては,作品の特定の細部を客観的に分析する形式分析の方法が,極めて有効である。研究の最大の目的は,この形式分析の方法を,大陸と日本の6■8世紀の神将形像に応用する点にある。神将形像の形式について論じた先行研究には,石田茂作氏や楊i弘氏の業績があるが,大陸の作品について葬礼美術と仏教美術との関係を意識した研究や,大陸と日本との関係を体系的に比較検討した研究は,あまりなされておらず,研究の余地が残されている。神将形像は,複雑な形をしているだけに,検討可能な要素が多く,また,墳墓壁画や武士桶等,葬礼美術をうまく研究にとりこめば,基準作例も大幅に増大でき,十分な成果をあげうるものと期待される。研究報告:当年度は,唐式の甲制の成立と展開の問題を中心に研究を進めた。その概要は,以下の通り。1.南北朝より隋に至る時期の甲制について唐式甲制の成立の問題を考えるためには,まず,隋以前の大陸甲制に関しての正確な認識が必要である。こうした立場から,当年度は,葬礼美術と仏教美術の各々について基準作例を摘出する作業と両者の関係について考察した。まず,葬礼美術に関しては,楊況「中国古代的甲胄」(『考古学報』1976-1, 2) に依拠しつつ,楊乱論文以後の出土作例も加えて,基準作例を摘出した。その結果,次のことが確認された。南北朝から隋に至る武士図,武士桶の著用する鎧としては,楊況氏が指摘するように,北魏・太和8年(484)の箔袖甲(胸と背が聯綴され,肩に短い箔袖をつけた鎧,三国から西晋に流行)等を除くと,概ね胴福甲と明光甲の2種に大別できる。-175 -
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