12年,関東大震災の後,弟の北園克衛と共に奈良へ移り住み,社寺•仏像を研究した(24) 橋本平八についての調査研究研究代表者:三重県立美術館学芸員森本共同研究者:三重県立美術館学芸員毛利伊知郎研究目的:橋本平八は,日本の近代彫刻史において重要な役割を果たした作家であるにもかかわらず,楠本平八に関する研究は充分でなく,わずかに本間正義氏による研究をあげうるのみで,平八に関する研究を進めることは,日本近代彫刻史研究にとって,大きな意味を持つものと考えられる。橋本平八は,大正12年頃から晩年に至るまでの間,詳しい日記を残している。そこには日々の出来事のほかに,芸術・哲学・宗教などに関する橋本平八独自の思索が記されている。こうした記述と実作品とを対照,比較することによって,橋本平八の彫刻制作の構想や,制作途中の心理状態などについても,より具体的に解明し,同時に彼と交友があった日本美術院の作家たちについても研究を深めることを目的とした。研究報告:今回の調査で新しく発見された橋本平八の足跡は少なくない。例えば,平八が大正ことは年譜的には確認されているのみであったが,奈良における平八の行動,思考などが日記に登場し,詳細を知ることができ,また,その後京都や日光などへ旅行した事実とその感想も日記によって明確となり,昭和前期に展開する平八の彫刻論の原型を窺うことができる。大正13年の『京都行』から若干を抜粋すると,「一二月一六日朝五時十分月は宙天に掛る風無くて去来する雲あり思ひたちて京都に遊ぶ京都は全く失望であった自分には余りに縁遠く淋しいとてもここには居たたまれない美術は奈良に尽くされてゐる奈良は静かな悠久の都である一つの宿望でありし平安の都は吾を慰む不能無量の感に打たれて帰国す也……推古朝の芸術が吾国彫刻の最高潮であったハニワに表はれてゐる創造知識が朝鮮文明に点火されて俄然燃え上り殆んど全部の発達をその素朴な能力の上に就けられて行ったと云ってもよ〈は無いかこの彫刻三重県立美術館ボランティア『けやきの会』孝原歌-182-
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