鹿島美術研究 年報第4号
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(25) 雑密系尊像における神仏習合の諸相研究者:京都市立芸術大学非常勤講師安藤佳香調査研究の目的:雑部密教は奈良時代には既に伝わり,薬師如来,十一面観音,千手観音などの信仰が盛んに行われた。雑密自体の内容は不明な点も多いが,一面で在来の固有信仰と極めて融合しやすい性格を持っていたようである。そのことは経典内容や,各種の悔過会などのあり方からも窺える。この研究は,雑密系尊像の表現自体の中に,在来信仰との接点を見ようとするものである。研究報わが国の仏教彫刻,とりわけ薬師如来,十一面観音,千手観音などを中心とした雑部密教系尊像にあって,漆箔や彩色を行い,いわゆる素地仕上げの一木彫が多数存在する。そのような作例の中には,未完成のまま放置されて今日まで伝えられたように見受けられるものがかなりの割合で確認される。未完成の状態は様々であるが,ノミ痕を全面もしくは部分的に遺していることや,彫り出す前の原材の感覚をどこかにとどめているというように,いかにも「彫りかけ」の様相を偲ばせる。尊像は本来,礼拝の対象として完全な形にまで仕上げられるべきものであるから,これらの像は未完成像とみなされるか,又は粗作として単なる省力の結果とされるかのいずれかである。しかしながら,完全たるべき尊像に未完成は余りにも多く,またいかなる粗略をも忌避すべき尊体に省力の手が多いのはなぜだろうか。このような疑問もまた当然起り得ることである。この研究では,雑密系尊像を中心とした一木彫の素木像に見られるいわゆる「未完成状況」をできうるだけ多くの作例を実査することで詳細に整理し,それについての解釈を試みようとした。1.前提前提として,ー木彫以外の彫像にこのような状況が確認されるか否かを見ておく必要があろう。金銅仏では,技法との関連もあり,造像途中で放置されるということはあり得ない。乾漆像(木心乾漆・脱活乾漆),塑像においても,未完状況の明らかな例は確認できなかった。寄木造の場合では,背面に若干のノミ痕をとどめる例や,如来相の螺髪部分を略した例が認められた。しかしながら全体数に占める割合は極めて低く,またその部分的な未完状況にしても通常の礼拝時には目につかない場所に限られ-187-

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