鹿島美術研究 年報第4号
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ウロフシている。したがって,正面からの礼拝に際して明らかに拝者の視界に入る部分を含めた,いわば積極的な未完状況は,素木の一木彫像に特有の現象として捉えることができる。雑密系尊像を中心とした素木像を巡る「彫りかけ」の問題をより具体的に堀り下げるために,未完成状況を示す諸作例を詳細に検討し,ひとまず一木彫の製作過程を照応させながら整理してみた。ここでは逐一の像について記述することは無理なので,その結果の概要を記す。ー木彫の製作は,周知のように,まず造像に必要な大きさの材を切り出す「木取り」に始まり,不要な部分をはつり落とし,像の大略を作る「荒彫り」,荒いノミ痕を平滑にし,細部の彫刻を進める「小造り」,及び最終的な「仕上げ」という順序で進められる。研究の対象となる作例に最も目につくのは丸ノミ痕であるので,便宜上,木取りに引き続いて行われる,丸ノミ使用以前の段階(像全体及び各部分の概形を表わす)総合的にみると,C段階の状況を呈する例が最も多く,次いでB,Aと続く。すべきは,体謳に比して顔面は完全若しくはそれに近い状況にまで仕上げられたものが多いことである。材質ではカヤが圧倒的多数を占め,また当初からの虚や節の多い,彫刻材としては不適な条件の材をあえて使った例も多い。これらの作例は一木彫の製作という観点からすれば,明らかに未完成状態として捉えられる。したがって,省力の場合を含めて,未完成とする説には一見何ら問題がないように見える。漆箔や彩色を行わない素地仕上げであるのも,未完成故の当然の帰結ということになる。しかしながら詳細にみて見ると,解釈の困難ないくつかの問題にゆき当る。まず第に,この未完成状況が素木像だけではなく,いわゆる「f賣己」像(代用材を用いた檀像に,黄壇もしくは赤栴檀を示す淡黄色・淡紅色を塗ったもの)の作例にも現れることである。「檀色」は通常の彩色とは彩色自体の意図が異なっており,材そのものの色を再現するという点では,素木像の延長線上に捉えられるべきものである。しかし,着彩されているということは,少なくとも意識の上で尊像としての完成を意味しており,したがって檀色像に看られる彫法を未完成ゆえの結果とすることはできない。に,省力の結果,部分的に未完状況のまま放置されたと考えるにも不可解な事を

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