鹿島美術研究 年報第4号
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彩も同様の効果をもつ)や,すべての部分を共木から彫出しようとする檀像本来の一材志向は,材そのものに霊性を認め,ひとつの生命体として捉える立場にとっては,結果的に極めて受け入れ易い要件であったと解される。インド以来の妙材観念にわがの霊材観念が上乗せされ,代用檀像の中に新たな精神を吹き込んだのである。このような霊木による造像では,霊材であることを視覚的に訴えるための表現がエ夫されたものと考えられる。その結果,尊像の完成後にも原材自体のもつ感覚をはっきりと誇示する特異な表現が生まれたのではないだろうか。いわば材自体の霊性の強調であり,そこに原材の顕示を意図した表現が志向されることになる。「霊材性」の造形化は,同時に聖なる材から尊像がそのかたちを現す,すなわち尊像出現の視覚化でもあった。換言すれば,霊材から尊像が「扉厨」したり,「嘉贔i」したりすることの表現化が重要な課題になったものと思われる。これは具体的には,木彫の製作過程と深く結びついた形で現されることになったのではないだろうか。すなわち,ー木彫では,製作過程がそのまま,尊像出現の過程であった。例えば,完成に至る途中の荒彫り段階は,導像が正に現れかけた生成りの状況であるし,小造りの段階は,完全に出現しきる直前の状態と理解できよう。以上のように考えることが可能ならば,代用檀像からの展開を中心とした素木像では,実際に霊木を用い,そこに霊材的性格と影向的性格を同時に表現しようとする意図があったと想定され,それを現すための独自な彫法が生まれたものと推定される。上述の未完状況は,以上のような宗教的要請に基づく積極的な表現であると考えたい。霊木を材とすることによる特殊な効果をねらった表現は,上述の作例にとどまらず,神像が立木仏,及び神宮寺関係の作例に巾広く認められるところである。更に,『ナタ彫像』と称される一群の作例の発生事情にも,重大な示唆を与えるものと思われる。すなわち,「ナタ彫像」として一括されている作例のノミ痕の状況を子細に調べて見るならば,一体の作例に複数の段階のノミ痕が認められ,正しく,尊像出現の視覚化であったと考えられるのである。立木仏についても,滋賀・称念寺の薬師像が,「檀色」像(淡黄彩)であり,しかも後頭部に未完状況をとどめる作例であることが判明したのは有意義であった。従来,ややもすれば,粗作・地方作という言葉で〈くられてしまうことの多い作例の中に,インドに源を発し,極東で根づいた檀像の精神の発露の表現を見ることができるのは,今後の素木像の研究にとってもひとつの視点を与えるものであろう。-190_

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