’'N”, ドイツのZERO,オランダのNULーの作品に深く感銘を受けたリッキーは,1961年までのリッキーの様式を考えても(様式的には,1950年代のリッキー作品は,-Archives of American Art 3. リッキーのスタジオにおける調査ト達との出会いであった。彼らーフランスのGRAV,イタリアのグルーフ°’'T”及び彼らの作品を含めて,当時(1950年代後半から1960年代初頭)の幾何学的傾向を持つ美術一般を構成主義のレベルのもとに総括した。このリッキー流の総括は二つの意味を持つ。第一には,構成主義というグループ分けにより,一般にタシズム,あるいは抽象表現主義と呼ばれる欧米の表現主義的(そして主観主義的)グループとの対比を明確にし,戦後の構成主義の歴史的正統性を規定すること。これは,リッキーなりの客観的な美術史観と見ることもできるが,実はより個人的な第二の重要性が隠されている。表面的に強く主張されている訳ではないが,構成主義というグループは,実はリッキーを含んでいる。それだけでは特記に値しないが,リッキーは自らを広い意味での戦前構成主義の後継として位置づけるだけではなく,より特定的に,第二世代キネティック・アーティストの同輩として位置づけたのである。このことは世代的に考えても(リッキーは第二世代のアーティストよりも少くとも20オは年長である),また第一世代キネティック・アートに属する)特異である。実際,50年代から60年代にかけてのリッキー作品はドラスティックに変化する。単純な言い方をすれば,それは,より第二世代的な方向,純粋化への方向であり,リッキー自身が規定した戦後における真正構成主義への方向への変化であった。この方向転換は,執筆のプロセスを通じて深化した。リッキーの60年代における様式の変化は,時間論の観点からも重要であり,これは今後の考察において更に追及されねばならない点である。リッキー関係の書簡,インタビューの他にD.Smith, Ad Reinhardt等の資料も閲覧した。リッキーはニューヨーク州EastChathamに在住している。計二回,のべ6日にわたりEastChathamに滞在,以下の調査をした。ーリッキー所蔵のリッキー作品の検分ー展覧会カタログ調査ーリッキーの構成主義資料のうちEastChathamに保管されているもの(主にタイプ原稿).... -193 -
元のページ ../index.html#211