トンの油彩画をレンブラントの作品の関連のなかで再検討しよう。ブリヂストンの油彩画の前景と後景に見られる画面構成に留意し,レンブラントの諸作品を観察すると,まずアムステルダム国立美術館にある『ペテロの否認』(BL594) を挙げることができる。(図4)1660年の年記と署名のあるこのレンブラント作『ペテロの否認』では画面中央やや右寄りの手摺の向う側にペテロが立っている。彼の左側に蛾燭の火を手で隠しながら,ペテロもキリストの仲間である,と告発する女中がいる。ペテロがそれを否定していることは,彼の左手の身振りから読み取れる。その様子を左側にいる兵士たちが注意深く見つめている。一方,画面の右奥には兵士と祭司等に囲まれたキリストがペテロの方を振り返っている。アムステルダムの作品とブリヂストンの油彩画の画面構成を比較したとき,前景に武装した兵士がおり,二人の人物の会話により群像全体に緊張感をもたらしている点,背景に武装した兵士たちと前景の様子を窺う人物がいる点で類似している。つぎに,シュミット・デーヘネルによってアムステルダムの『ペテロの否認』との関連が指摘された,パリのエコール・デ・ボザールにあるデッサンを見よう。(図5)このデッサンをこれまで多くの研究者がレンブラントの真筆とみなしてきたが,w.フォン・ザイトリッツ,o.ベネシュ,w.ズモウスキー等は弟子の作品とした。そしてズモウスキーはこのデッサンをレンブラントの晩年の弟子の一人アールト・デ・ヘルデルがレンブラントの1650年代の様式で描いたとした。しかしヘルデルに帰属されたデッサンの線は粗雑で,パリのデッサンの描線の流麗さと比較するとヘルデルの作品とできるかどうかやや問題がある。いずれにしてもパリのデッサンは1650年代のレンブラントの様式に近いという点では一致している。パリのデッサンはこれまで研究者たちによってアムステルダムにある1660年の『ペテロの否認』と関連するとみなされており,この構図の起原としてはヤン・ピナスの同主題のデッサン,後述するアールト・メイテンスのデッサンなどがあげられよう。このパリのデッサンとアムステルダムの同主題油彩画を比較したとき,画中のモチーフは厳密には一致しない。しかし,デッサンの画面左側で女中がペテロを「この人もイエスと一緒にいました」(ルカ画との類似点が認められる。一方,このデッサンをブリヂストンの図と比較してみよう。両図とも焚火を囲んで兵士たちが集り,背中向きの人物,その左前に別の兵士が腰かけている。デッサンの22章56節),と告発している場面には油彩-199-
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