なかで,この兵士の左足は二度描き変えられ,不自然にペテロの左足首の方へ伸ばされている。この描写はブリヂストンの図のマントに隠れた兵士の左足を想起させる。また両図の画面右手に立っている兵士がいる点,さらに画面後景に審問の場面があることなど,二つの作品は画面構成において類似しているといえよう。両図の審問の場面を注意深く観察してゆくと,プリヂストンの作品で,少し身をひねり,振り返るような格好で前景の方へ目をやっている人物(人物G),それにやや俯つ向き加減に蛾燭の前に坐り,シルエットで描かれた人物(人物H)が,パリのデッサンの後景に描かれたカパヤとキリストを想起させる。ブリヂストンの図がアムステルダムのレンプラント晩年の大作と同一主題が描かれている,と想定した場合,前者においてペテロはどの人物か,女中は何故存在しないのか,という疑問が当然起こってくる,これまでブリヂストンの油彩画を「ペテロの否認」としてきたプレディウス,ヴァイスバッハ,バウホ等は左膝を抱くようにして,野卑で下品な笑いを浮かべ焚火の近くに腰かけている男をベテロと見なしている。すでに言及してきたように,バウホはモレインの図との構図の類似からブリヂストンの油彩画を「ペテロの否認」としたが,ペテロについては図像伝統を忘れてしまったかのごとく,一転して聖書に典拠を求めようとする。バウホが挙げているモレインのペテロもそうであるが,伝統的な図像から見ると,ペテロが焚火のそばに腰を下ろしている,という作例は極めて珍しいものである。ただ,オランダのカラヴァジョ派のひとりで既に言及した「衛兵の室」の図のうちで最も早い頃の作品を制作したレオナルド・プラーメルの「ペテロの否認」のデッサンにおいて,ペテロは火鉢に手をかざし,そのそばに腰掛け,背後から話しかける女中の方を振り返っている。このブラーメルの図はプリヂストンの油彩画の中で,どの人物がペテロかという疑問に,図像的なひとつの根拠を提示するという点で注目に値する。このデッサンの制作年は不明だが,様式的には,1640年代前半頃のデッサン『音楽会』に近い。このデッサンとブリヂストンの油彩画の直接の関係はほとんど考えられない。仮にこのデッサンがもっと早い時期のものであってもレンブラントがそれを見たことを実証することは難しい。プラーメルのデッサンは現在失われたカラヴァジョの同主題油彩画に基づいており,火のそばに坐るペテロが描かれた他の作例がレンプラントに知られた可能性を否定することはできない。というのも「ペテロの否認」は「キリストの審問」や「ピラトの前のキリスト」の場面といっしょに現れることが多く,この主題がとりわけ人気を得,独-200-
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