鹿島美術研究 年報第4号
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しもベ立して扱われるようになったのは対抗宗教改革以後であった。夜の場面を描〈カラヴアジョ派の画家たちにとって「ペテロの否認」は格好の題材となり,特にネーデルランドで流行したからである。カラヴァジョ派の画家のひとりで,ホントホルストやG.セーヘルス風の作品を描いたマスターEの「ペテロの否認」では鶏も存在せず,おまけにペテロを告発する人物は女中ではなく松明を持つ男性となっている。この男性は『ヨハネ福音書』18章26節に言う,「大祭司の僕のひとりで,ペテロに耳を切り落された人の親族の者」であろうか。この『ペテロの否認』のように女中も鶏もいない作例も稀には存在する。「ペテロの否認」を扱った作例を丹念に調べてゆくと,ウィーンのアルベルティーナにあるアールト・メイテンス(AertMijtens)の『ペテロの否認』(図6)に出会う。このアルベルティーナのデッサンでは,前景に焚火を囲んで兵士たちがいる。左肘を付き背中を向けている兵士は,身をのり出して火にあたろうとする人物と語り合っている。兜を被り左手だけ火の方へ差し出す兵士や,その前に立っている兵士は,左隅で腰を少しかがめている仲間の方を見ている。ペテロと女中は画面中景右手で,焚火を囲む半円形の隅にいる。後景には,ヵャパの前のキリストが描かれている。このデッサンの画面構成は先に挙げたパリのデッサンを想起させる。メイテンスのデッサンで,特に注目すべきなのは,主題の中心,聖ペテロの否認が,焚火を囲む輪の隅の方にいわば付け足しのように描かれ,その場にいる誰もがそのことに注意を向けていない点である。前景で,兵士たちはペテロと女中の会話に気づかぬように談笑している。兵士たちのたむろする場面が,画面全体に占める割合は大きく宗教画と風俗画の混交した特徴を示している。同じような傾向を示すものに,ユトレヒトの画家A・ブルーマールトの同主題のデッサンがある。この図では,女中は背景に小さく描かれ,ペテロは,画面左隅から兵士のひとりに話しかけている。しかし兵士の集まりが画面の中心を占めている。この点はブリヂストンの図とも類似している。銅板油彩画の主題が「ペテロの否認」であって,特に女中がいないという点はパリにあるレンブラント(?)のデッサンやアムステルダムの油彩画のように画面左側,すなわち銅板の切断された部分に存在していた可能性を残すともいえる。いずれの場合にしても,画面の切断された部分はどの程度であったのだろうか,切断部分を考慮してオリジナルの大きさを最初に推定したのは既に研究史の章で触れたように,『レンブラント・コーパス』である。-201 -

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