スにおける壁画修復の第1人者,Zizersの0.Emmenegger氏(及び同氏の共同者女子修道院長(FrauPriorin)及び同修道院の管理責任者,B.Gubelmann神父の特別許可を得て,今回初めてSt.Johann聖堂西側部分(*Nonnenchor)の壁画及び,聖堂の屋根裏部屋(*Dachboden)に残存する当初の壁画を実見することができ,これだけでも大きな収穫であった(1975年にMtistairを訪ねたが,この時は聖堂の南・北・東の3面の壁画しか調査できなかった)。今回の調査により,Reichenau壁画に先行すおいても,前者とつながる要素が多いことが改めて確認された。なお,現在ZurichのSchweizerischesLandesmuseumに展示されているMtistair(屋根裏部屋から剥がしたもの)についても詳細に調査することができた。同館のL.Wtitherich氏の好意により,梯子を使って画面に接近して観察したからである。オリジナルを前にして,ZurichのProHelvetia文化財団のCh.Eggenberger氏(兼5)ボーデン湖地域(西ドイツ及びスイス)この地域では,Reichenau/Oberzell,St. Georg (10世紀末)の外に,次の2の調査を行った。これら2聖堂の調査は,TtibingenのBaden-Wtirttemberg文化財保存局支所,いて行った大規模なものだけでも,既に4回(1975,1977, 1980, 1985年)を数える。今回の目的は,身廊南壁の第一画面(〈癬病人の活癒》)の調査であった。現在,St.従って,南壁には足場がないわけであるが,Baden-Wtirttemberg州文化財保存局(A.これを使って,画面の保存状態(特にゴシック期及びゴシック以後の上塗り)について観察を行い,現場で詳細な記述を試みた。Coello氏)並びに,Mtistairの発掘現場主任のF.Guex氏の仲介により,MtistairるMtistair壁画が,画面の建築モティーフのみならず,人物像(特に頭部)の描法にZurich大学講師)と意見を文換したことも有意義であった。Goldbach, Silvesterkapelle (10世紀末)Landschlacht, Leonhardskapelle天井フリーズ(11世紀末)UberlingenのStadtbaumeiter,Reichenau/Oberzellの修復作業に携わっているM.Oess氏,スイスの修復家0.Emmenegger氏の好意により実施可能となった。Reichenau島Oberaell所在のSt.Georg聖堂壁画の現地調査については,足場を用Georg聖堂内には,身廊北側全面に足場が組まれ,壁画の保存作業が進行中である。Gebepler局長)の厚意により,南壁第1画面の前に臨時に足場を設置してくれたので,-221 -
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