2) 1862年のロンドン万国博覧会にラザフォード・オールコックの出品したコレクシ4)ボウズは,1890年6月19日より,自邸ストリートラム・タワーに付属する美術館5)美術館は98フィートX36フィートの展示室をもち,付属の室をいれると160フィ1870. Descriptive Catalogue of Japanese Enamels and othere works, Liver-pool. 1884. Japanese Enamels. with Ilustrations from the examples in the Bowse Collection, Liverpool. 1890. Japanese Enamels, Liverpool. 1890. Japanese Pottery, Liverpool. 1895. Notes on Shippo, Liverpool. 7)林忠正にあてた6通の手紙が残されており,また,ボウズの死(1899)後,コレ3)日本美術収集のもうひとつの動機は,開国後の近代化に努める日本の姿勢と真剣6)収蔵品にもとづく以下の著作を刊行している。して活躍した。ョンを見て啓発され,日本美術の収集家となる。その後1867年のパリ万博,73年のウィーン万博を訪れてコレクションの充実に努めた。な日本人の友人の態度に打たれ,文化への共感と関心を持ったためであるという。彼の友好的態度のため,日本政府は天皇・皇后の肖像画と二個のブロンズの花瓶を贈り,1888年に名誉日本領事に任じた。を作り,コレクションを一般に公開した。開館から5日目までで11,229人の観覧者数を記録したという。翌年4月には,ジャパニーズ・ファンシー・フェアーを開催し,期間中に2万人が来館したと伝えられる。との長さになる。コレクションは,七宝,漆器,刀剣を中心とし,埴輪,13世紀以降の32の地方から収集した陶磁器などからなる。更に,ブロンズ,金属製のものは7ケース,木彫,象牙彫3ケースに納められ,絵画は土佐派,円山派などを含む。クションの売立に関して,未亡人からの2通の手紙が残っている。いずれからも,林からボウズが様々なものを購入をしていたこと,また,作品の研究の過程で林から多くの知識を得ていたことも知られる。手紙の日付はボウズからのものは,1895年,96年,未亡人のものは1900年。8)ボウズのコレクションは死後の売立てで散逸してしまった。美術館等の一括購入-232-
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