鹿島美術研究 年報第4号
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9)しかし,1890年代の約10年間,リヴァプールの人々に日本美術を知らしめたボウ6.ロンドン市内1) W. D. Cutter (35, Gt, Russel Street, Bloomsbury, W. C.) 1894年から1902年にわたり14通が残っている。2) Tho. J. Larkin (104. New Bond Street, W.) 1886年から1902年まで4通が残っている。7.フランス和59年7月から8月に亘る),使用されている板(ポプラ材,縦23.5X横16.0糎)左右のあっズの功績は大き〈,それがどのように市民に受け継がれていったかを知ることは,今後の課題である。林宛の書簡の差出人2名のロンドンの住所を訪ねたが,すでに別の店舗となってい両者とも商売に適した良い場所に店舗を構えていたことがわかる。日本美術専門の店であったかどうかは不明だが,ロンドンにおける日本美術品取引の活発な状況が想像される。パリにおける林商店の跡地調査と,オルセー美術館にて関係資料の調査にあたった。(4) ドゥッチオ作「フランシスコ会士の聖母」に関する復原研究派遣研究者:学習院大学大学院博士課程在学大築勇喜嗣調査研究の目的:ドゥッチオ中期の代表作「フランシスコ会士の聖母」(シエナ国立絵画館収蔵)は,通説では二連祭壇画の一翼と考えられている。しかし現地で精査したところでは(昭両側面の対称的な位置2箇所(計4箇所)に,左右パネルの開閉を可能にする為の蝶番の跡を観察した。つまり上記作品は三連祭壇画であった訳で,その際の写真資料の一部は,昭和61年度美術史学会第39回全国大会の席で公表ずみである。此度の海外研究の目的は,上記の研究を踏まえ,13世紀イタリアに属す三連祭壇画及びシエナ派(ドゥッチオ並びドゥッチオ派を含む)の板絵百数十点を現地で精査し,「フランシスコ会士の聖母」の図像学的及び様式史的復原を試みることにある。も伝えられていない。-233-~o

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