鹿島美術研究 年報第4号
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4.室町末期の逸伝画家研究5. 19 • 20世紀における日・米美術研究実証的に検証し,江戸と明治の断絶を補った連続した近世・近代の絵画史観を獲得しようとするものである。研究者:竹早教員養成所講師大石利雄研究目的:わが国水墨画史上16世紀は,中央では狩野元信,永徳が御用絵師として画壇の実権を握り,また地方においては雪村がその自由な立場から個性的な画風を展開した。般に中央と地方との対比によって把握されるこの時代はまた各流派の地方への分散滲透がみられるなど,極めて多様な展開を遂げたものと推察され,それは現存する多くの作品が物語っている。しかし従来その代表的な画家については着実な研究の進展がみられるものの,依然活躍年代すら確としない逸伝画家も少なくない。これらの中には重要な問題を提起する画家もあり,その調査研究は是非とも必要と考える。是庵は相国寺の高僧子建寿寅と確認され,同時代史料によってその経歴が跡づけられる点,特には阿弥派の展開を解明する上でひとつの指標を成す画家と思われ,また庭園史の上でも重要である。作品の探究と,賛者のひとり月航玄津の経歴が今後の課題である。式部輝忠は小田原狩野や祥啓派との様式上の関連性が指摘され,関東派画人との見方が有力であるが,同時に中央画壇との接触を想定するむきもある。私見では式部の駿河での足跡が立証できるように思われ,その行動範囲がさらに広がる可能性もでてきた。中央画壇と地方のそれとの関係についてはこれまで祥啓と芸阿弥の例を唯一としてあまり具体的にされていないが,この問題についても式部は手がかりを与えてくれることが期待される。前島宗祐については狩野王楽あるいは「右都御史」印の画家との異同問題があり,その実態に不明な点の多い小田原狩野を考える上で重要な画家と目される。小田原狩野は狩野派の地方進出という点で,また狩野正信の出自とも関連して今後多くの研究の余地が残されていると言えよう。研究者:東京国立文化財研究所研究員山梨絵美子研究目的:従来,日本美術の西洋化について語る場合,西洋とはヨーロッパのみを意味し,ア-25 -

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