6.清水寺蔵朱印船図絵馬の研究メリカは含まれなかった。それは,日本と比較してアメリカは美術の伝統が浅<,学ぶべきものはヨーロッパにあってアメリカにはないと一般に考えられたためである。しかし,鎖国を解かせたのがアメリカであり,その後も政治・経済的交流が行われていたことを考えると,相互の物的交流により視覚情報も相互に流出・流入したと想像される。明治初期は日本が欧米からの文化をごく限られた情報をもとに必死に学ぼうとした時期であり,洋風表現の追求の対象とされた美術品にアメリカからのものが含まれていても不思議はない。明治中期以降,美術の中心はヨーロッパであるとする見方が定着するが,渡米した画家は少なくなく,日本の美術界におけるアメリカの位置は看過できない。また,国吉康雄ら,アメリカで活躍した画家についてもアメリカ美術史及び日米美術交流の視点を加えて考察される必要がある。以上のように,アメリカ美術を看過してきたことによって欠落していた日本近代美術史への視点は少なくない。第二次世界大戦後の先進諸国の美術の流れを考える時,その中心的動きをつくり出してきたのはアメリカであった。そのアメリカの美術史を理解することは,日本の現代美術を理解し,今後の方向について考察する上でも必要と考えられる。研究者:文化庁文化財保護部美術工芸課技官佐藤康宏研究目的:近世初期風俗画の表現内容が寛永年間(1624-1643)には享楽主義への傾斜を深め,浮世絵の先縦というべき性格を持つようになることは,つとに指摘されてきた。その時期を代表する作品としては「四条河原図屏風」(静嘉堂・堂本家),「相応寺屏風」(徳川黎明会),「伝本多平八郎姿絵」(徳川黎明会),「彦根屏風」(井伊家史料保存会),「湯女図」(世界救世教)などが挙げられるのが常である。しかし,これらのうち寛永年間に制作されたという証拠のある作品は1点もない。制作時期の不明な作品を下に,ある時代の美術の特色を論じるのは倒立した状況といわねばならない。風俗画は歴史・芸能史・風俗史など関連する諸分野の研究の資料としても用いられるので,その制作時期等についてできるだけ厳密な判断を下すのは美術史学者の義務であろう。-26 -
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