7.円山応挙の作品研究清水寺蔵朱印船図絵馬は,4面とも奉納銘によって寛永年間の作ということが確実な風俗画であり,これらを分析することは,寛永風俗画の基準作についての研究を構築することを意味する。そこで明らかになる事実こそが寛永風俗画の特質であって,根拠のない年代推定に基づく現在の研究は,検証の結果裏付けられもし,否定されもするであろう。研究者:兵庫県立歴史博物館学芸課長木村重圭研究目的:円山応挙は,近世の日本絵画史上に最も大きな足跡を残した画家である。応挙以前の日本の画壇は,狩野派を中心とする粉本主義のマンネリ化したものであった。狩野派以外にも,長崎派,琳派,南画,浮世絵等々の画流の活躍が見られた。しかし,様々の新しい流派・様式の中で,日本の当時の画壇に最大の影響を及ぼしたのは応挙であった。応挙は,それまでの粉本による制作から脱脚し,自然や景物・人物などを実際に生し,その写生にもとづいて,一つの作品を描くことを行った。これは,今までの日本の絵画制作の方法からは画期的な大変革であった。応挙が写生をもとに確立したところの新しい絵画様式を円山派と呼んでいる。そして,応挙以後,この様式は円山派として継承された。また応挙の門から出た呉春も四条派を興した。この円山派と四条派が全国に波及し広まり,明治以降の近代の日本画壇が京都を中心に,円山・四条派の画家達によって担われ,新しい日本画の展開に大きな功績を残した。この様に応挙は,近世から近代の日本絵画史上に大きな足跡を残したのである。この応挙の作品については,まだまだ調査・研究が進んでいないといっても過言ではない。多くの応挙作品は,未整理のままの状態(真偽問題も含んで)である。この未整理の応挙作品を可能な限り調査することにより,応挙の生涯の作品を整理し,作風変遷を明らかにしたい。更には,応挙以後への影響関係にも及びたいと考えている。-27 -
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