た18世紀末に始まる。以来,清朝が台湾を日本に割譲するまで,台湾はほぼ福建の文-64)は蘭竹,花丼をよ〈し,大きな影聘を残した。1895年の台湾割譲前後から絵画活国画月刊造型美術中国美術会季刊上海芸術月刊上海美術専科学校新制第廿届畢業紀念刊婦女雑誌挿画集存漢口市美術展覧会紀念特刊芸風社画集立芸術院芸術運動社第一届展覧会特刊上海美術運動白社画冊中日現代絵画展覧会第一輯爛漫社集黄幻吾画展集第一,―周麗華女士油画集張丹女士展覧画集陸潅夫先生編年画冊杏芥老人古稀録第一集その他,各美術学校校友会関係資料,雑誌論文のコピーもかなりれら資料の整理,カード採録は62年度に行う予定である。北京での調査期間を大幅に短縮したので,代りに台北に於いて台湾初期の洋画家顔水龍,楊三郎,膠彩画家陳進,林玉山から台湾早期の美術運動について聞とりを行い,ついでこれまで調査の機会に恵まれなかった嶺南派の作品を香港中文大学中国文化研究所文物館収蔵簡又文コレクションについて行った。台湾の新美術運動台湾の絵画活動は,福建省を中心に大陸南部沿岸地域からの移民,開拓が進み始め化圏内にあり,絵画にも福建の地方色,間臭が強かった。台湾初期の画家林朝英,呉鴻業,許子蘭などがそうである。咸豊年間(1851-60),板橋林家に寄寓した謝培樵(1811-62 -に達した。そ
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