き出してきた。光,絵画に差し込むのではな〈,それ自身から輝き出るように見える光を。それゆえ色調がたとえ暗〈とも,それらは内なる光によって蝉いている(14)。」ところでhautepらteであるが,これが「長い年月をかけて培われてきた,フランス人の感覚的で絵画的な表面に対する偏愛の,1つの論理的拡張(IS)」であるという指摘はおそら〈正しい。それならルオーのmat応reは,印象派に淵源していると言うべきで,ルオーの絵画を「外殻性印象主義06>J an encrusted Impressionismと呼んだソピーの主張は,その意味で正鵠を得ている。色彩の筆触分割は,光を生み出すのだ。勿論光を生み出すのは筆触分割だけではなかろう。マチスは,「平塗りaplatsの発明は光を喚起する(17)」が,「厚塗りの絵画lapeinture epaisseは光を生み出さない(18)」と語っている。ルオーの光が,matiereと結合した色彩そのものの中から微視的に生まれているのだとすれば,マチスの光は,色面相互の対比によって巨視的に生まれていると言えそうだ。油彩画と下絵の比較の最後に,hautepateのmatiere,モティーフ及び色彩間の相互関係について調べて見た。その結果,hautepateを構成している色彩とは,灰緑青,橙,青,灰黄,緑青,紫,黄緑と,ほぼルオーの多用した色彩のすべてが見出せ,hauteティーフを調べて見ると,特定の人物の顔,衣服,及びその周縁部に集中しており,明らかにhautepateとモティーフとの間には相関関係が存在した。特定の人物とは言うまでもな〈,キリストその人である。この事実は,意識的にしろ無意識にしろ,ルオーがhautep祖eによって,ある種の光を創造しようとしていた事を物語っている。色彩は転調して,光となった。図10Passion mat厄reモデル西teが特定の色相と結び付いていない事がわかった。ところがhautep函eによったモ名で呼んだ,1つの光が生まれてはいないだろうか。「ルオーのパレットはここにおいて新たな資質を賦与された。燐光性。絵具層の上にさらに絵具層を重ねる事により,自ら`真の色調”と呼ぶものに対する飽〈なき探求の果てに,ルオーは画布から不思議な何物かを導-74 -
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