2. matiereの成熟(maturitと)ら30年代前半の中期油彩画に関しては留保を必要とするものの,30年代後半からの後次に油彩画『受難』をそれ以前の油彩画と比較して見よう。そのためには,『受難』の制作から10年ほど遡る,1920年代に制作された銅版画集『ミセレーレ』をまず調べる必要がある。ルオーはこの『ミセレーレ』の制作において,描き加え,塗り重ねるという通常のポジティヴな描写態度とは異なり,スクレイパーを用いて削り取り,消し去るという言わばネガティヴな描写態度によって,色価の高い,独創的な白のmatiereを生み出す事に成功し,それによってmatiereそのものから発出するような透過性の光,「悲劇性としての光」の表現を獲得した。このネガティヴなmatiereはすぐさま油彩画へと転用され,1920年代後半から30年代前半におけるルオーの中期油彩画を特徴付けている(19)。例えば1925年頃の「裸婦」の部分(口絵7)は,このスクレイパーの特徴的使用によるネガティヴなmatiらre即ちscrapingの典型である。このscrapingは,『受難』の完成する直前の1930年代前半にまで確認できる。ところか『受難』において,このネガティヴなmatiereによるscrapingが突然姿を消し,これに代ってポジテイヴなmatiereのhautep紅eが出現してきたのは,これまで繰り返し述べてきた通りである。ヴェントゥーリは,「ルオーの絶えざる方針の変更や改作,修正を伴った制作の方法は,常に削除するというよりはむしろ付加する方向へと,より多くの色彩を組み合わせる方向へと導いた(20)。」と述べているが,この主張は少なくとも20年代後半か期油彩画に関しては妥当していると言わねばなるまい。色彩に関してはどうだろうか。『受難』以前の油彩画ではルオーの色彩は大変禁欲的に制限されたものであり,赤と緑の補色対比だけを基本として,作品の色彩構成が計られていた。ところが『受難』においては,これに橙と青,黄と紫の補色対比が新たに加わり,これで例えば「ドラクロワの色彩三角形」を構成する補色対比はすべて出揃った事になる。色彩が転調を遂げた所以でもある。シェーネは中世の色彩の特質として,彩度の高さ,不透明性,反自然性の3点を挙げているが,これは自ら言う中世の光「自発光」がそのまま色彩世界の中に翻訳・現されている事を意味するものである(21)。この特質は,チューブから出したままの絵具で彩度が高く,matiらreが厚いため不透明性で,象徴的色彩のため反自然的で,何よりも光の等価物としてルオーの色彩と大変よく一致しており,ルオーの色彩世界が中世の色彩世界にきわめて近いものである事が理解される。-75
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