鹿島美術研究 年報第4号
94/268

20■30回繰り返すので,完成までには数年を要するのが普通である。ところが「『受難』さてmatiereの問題に戻ろう。では何故ネガティヴなscrapingに代わり,ポジティヴなhaute韮teが出現したのか。これには4つの理由が考えられる。制作年表」を見るとわかるように,『受難』の油彩画への実質的改作期間は1934年の10月より翌年の4月までのわずか6ヵ月間に過ぎない。そこにはヴォラールからの執拗な催促があったに違いないが,それにしてもルオーの82点の油彩画制作期間としては例外的に短いものである。時間のかかるscrapingに代わる,新たなmatiとreを発見する必要が出てきた。hautepateの発明である。ここで留意すべきは,わずか半年にしか過ぎないhaute函teの制作期間である。それはルオーのhaute韮teが,単に長い時間をかける事によって自然に出来上っていっを我々に教えて〈れる。hautepateは出来たのではなく,創ったのである。詩画集の挿絵として計画されたものであった為,従来の油彩画の一般的に大きさ80センチメートルX60センチメートルに比較すると,30センチメートルX20センチメートル(イメージサイズ)とかなり小画面の作品である。『受難』以前の油彩画でのscrapingの箇所を細かく調べて見ると,比較的単純な形をした,大きなモティーフに限られているのがわかった(口絵7)。しかもscrapingは,輪郭線で囲まれた1つの造形ブロックをまたごして適用された事はなく,1つのブロックは色調と共に,matiereにおいても独立性を保っている。ところが『受難』のように画面が小さくなり,それに伴ってモティーフも小さくなれば心然的にscrapingの作業は困難を来す訳で,これに代わる新たなmatiらreを考案する必要がここにも出て来た。haute韮teの発明である。しかしこのhautepateにしてもモティーフが極端に小さくなればやはり不都合を生じ,そこで考え出されたmatiereけてくれる。勿論scrapingは表面にこそ現われていないものの,下層に施されている可能性は充分あり,事実ルオーは晩年までスクレイパーを手放す事はなかった。しかし『受難』以後,scrapingをmatiereの表面に見出す事はできない。第1に,時間的制約があったため,日数のかかるscrapingが不可能であった事。scrapingの作業は絵具が完全に乾くのを待ってからしか行えず,ルオーは通常これをたmatiereではないという第2に,scrapingは小さなモティーフには適さなかった事。油彩画『受難』は元来がdrippingやdottingではなかったのか。作品観察の結果は,この仮説をうまく裏付-76 -

元のページ  ../index.html#94

このブックを見る