鹿島美術研究 年報第4号
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11)と,ルオーのdripping(図12)をジャク消極的理由ばかりではない。第3に,ネガティヴな色彩の均衡によるscrapingに比較して,hautepateはより豊かな憚きを持ったポジティヴな色彩の均衡を生み出せる事。スクレイバーによって幾つかの色彩を露呈させるには,あらかじめそれらの色彩をプロックの内部に重ねてお〈必要があるが,その為scrapingの色面の調子はやや単調になるきらいがある。しかもその表面にはscraping独特の小刻みな削り跡が残ってしまい,大きな色面では効果的に作用したそのmatiereも,小さな色面ではむしろ異質な感じを与えている。これに対し,hautepateの方は,基本となる色調をベースに,必要と思われる色彩を,コントロールしながら,ボジティヴに加えてゆく訳で,その複雑なニュアンスは,matiereの凹凸とも相まって,より豊かな輝きをもたらして〈れた。その結果,ネガティヴで透明性の輝きは,ポジティヴで不透明性の輝きへと変質している。画面の上に出現させた。この触知的な物質空間は,イリュージョンとしての錯視空間と,画面という同一平面上で対立的に共存する事で,・ルオーの絵画空間は両義性を帯び,質的な転換を遂げるという事態に直面した。ルオーはポジティヴな描写態度に確信を深めながらも,このような自らの絵画空間の両義的を開示を,ある驚きを持って眺めていたのではないか。絵画空間の両義的開示は,matiereそのものの両義的開示にほかならない。ここで先に述べた,..灰緑青の縁取りの両義性を思い起して欲しい。ところでルオーの『受難』以後の両義的に拡大した絵画空間の特質を,第2次世界大戦後の,特に抽象表現主義の絵画空間と比較して見るのはあまりにも唐突であろうか。例えばルオーのhaute韮te(口絵6)をジャン・フォートリエ(1898-1964)のhautep紅e(図第4は,hautepateが絵画空間を両義的に拡大した事。・絵画は一般に視覚のイリュージョニズムが生む錯視空間によって成立している。ところが高く盛り上って3次元化したhautepateのmatiereは,必然的に絵具の固まりとしての物質的な現実空間を-77 -haute pate 1943年

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