鹿島美術研究 年報第4号
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(2) Pierre Courthion, La suite peinte de "PASSION" dans I'reuvre de Georges Rouault ; た色彩と成熟したmatiereとの化合物の中に偏在する事によって,自らの変容を計った。自らから逃れつつ自らに成り,自らに成りつつ自らを越える光の自同性。ルオーが「形態色彩,調和(24)」を称え,また「絵画は色彩であり,調和である(25)」と言う時,「調和」harmonieとは「色彩の均衡(26)」u函quilibrede la couleurを意味しているが,この「色彩の均衡」によって生まれたものが,『受難』の場合「光」であってみれば,その光を「調和の光」と呼ぶ事は可能であろう。調和の本質的契機が肯定性にあるとすれば,ここにおいて否定性としての悲劇の光は,肯定性としての調和の光へ変容したと言える。特筆すべきは,色彩とmatiとreという形而下的世界の肯定性が,光における形而上的肯定性を生み出した事であって,おそらくこの逆ではなかろう。13世紀のスコラ哲学者ストラスブルグのウルリッヒは,「美は調和と輝き」と定義したが(27),この言わば切離し得ぬ一対としての表現を受けた「光と調和」を自らの内に牢んだルオーの後期油彩画が体現している美の世界が,きわめて中世的美の世界に近いものである事も理解される。この世界において,光は本質的に不可視である。『ミセレーレ』における「悲劇性としての光」を認識論的に「光のメタファー」と呼ぶのなら,『受難』において,「光が認識論的意味内容に留まらず,自らを開示する存在の基本的特性の表現として,存在論的意味内容を獲得する時(28)」生まれた「調和の光」は,「光の形而上学」と呼び得る。なぜなら光の形而上学においては,精神的な不可視性の光こそ本来の光で,メタファー機能を担っていた感覚的で可視性の光はこれを分有する影像にしか過ぎぬという観念論的転倒を必要とするが,ルオーの透明性で可視的な「悲劇の光」が,不透明性で不可視の「調和の光」へと変容した事実は,この転倒のまぎれもない証左であるからだ。メタファーから形而上学への転位は,同時に認識論から存在論への成熟をも意味していよう。光は変容して,形而上学となった。(1) Bernard Dorival, Rouault; Georges Rouault LA PASSION DU CHRIST Les com-ibid., p. 41. (3) Donald S. Vogel, Georges Rouault PASSION (Valley House Gallery), Dallas, 1962, (4) Lettre de RouaultふHeine(28 sept. 1933), Francois Chapon,(Euvre grave Rouault II, Monte-Carlo, 1978, note 318(柳・高階・坂本訳『ルオー全版画』,岩波書店,1978年)。mentaires, 1976, pp, 48-49(佐藤・柳・中山・高階・訳『受難』,岩波書店,1975年)。p, 16. 註-80 -

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