鹿島美術研究 年報第5号
102/290

(5) 19. 20世紀における日・米美術研究「是庵」については,以前,発表する機会を得たが(「美術史」117),その中で,「是庵」が相国寺の僧,子建寿寅(1486■1581)と考えられ,阿弥派の展開を解明する上で,また庭園史からも重要な人物であることを指摘した。その後,龍安寺に,同寺の住持であった妙心寺派の僧,月航玄津(のち宗津と改む,1496■1586)の賛を有する「是庵」印「梅泉斎図」(紙本墨画)が伝存することを知り調査した。この作品については「大雲山誌稿」に記載され,賛は「月航和尚語録」に採録されるものである。この作品の存在は,次の点で重要な意味を持つ。ひとつは,子建と妙心寺派との関係により明白になることで,さらには,塔頭霊雲院庭園の作者とする一証左にも成り得るという点である。もうひとつは,月航の署名の下に捺された二印「山林樵家」「履仲」についてである。「山林樵家」印に関しては,画中にこれと同形印を捺す惟高妙安賛「雪景山水図」(常盤山文庫)が知られ,「古画備考」高麗朝鮮の部に載る「山林林樵春」がこれに当たると考えられている。一方「履仲」印の方は,「本朝画纂」に載る「是庵」印画「騎聰人物図」に賛者の印として写し取られているものに似通っている。したがって印のみに着目するなら「雪景山水図」は月航の作,「騎櫨人物図」は月航の賛である可能性も出てくるのである。以上のような問題をかかえる作品であるが,様式上「是庵」画として,必ずしも納得がいかない面(補筆も認められる)もあり,それを検証するべく,今回は,月航の他の墨蹟との照合検討,子建との交遊を含めた月航の経歴の追求を中心に調査研究を試みた。現段階では,まだこれと同印を使用した月航の墨蹟が発見できず,その最終的な結論は保留せざるを得ないが,関連する収穫は少なからずあった。月航の経歴についてはいくつか新知見を得ることができ,また,未紹介の月航自賛の頂相を見出したことも貴重な成果である。子建との関係についてはまだ充分とは言えないが,子建の画賛を残す仁如集亮と月航との交遊は明白であり,ひとつの手がかりとなるものである。それらについては,今後の研究成果と合わせて改めて御報告申し上げたいと思う。研究者:東京国立文化財研究所研究員山梨絵美子研究報告:この研究は19,20世紀の日米美術交流の一端を明らかにしようとするもので,幕末・明治期を中心に,アメリカ美術の影響を思わせる作品および作家に関する資料を収集,調査-78 -

元のページ  ../index.html#102

このブックを見る