鹿島美術研究 年報第5号
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(7) 円山応挙の作品研究2.明和2年(1765)春以前は,「落款譜」No.l■14に見るとおり,種々の名前を使用23歳の作品も知られるが,いづれも未見であるので後考にゆずりたい。No. 6■10は26■31,2歳頃,そして,32,33, 34歳が“仙嶺”の署名を用いる時代(1765) 33歳の春から,翌年の春まで丸1年間に11点が確認されている。明和2年の8作品にすぎないが,この内,No.11, 12, 13, 14, 17, 18の6点は両印とも合致す研究者:兵庫県立歴史博物館学芸課長木村重研究報告:現在まで約300件の作品について調査を進めており,その成果をもとに作成したのが別添の落款印譜集(以下「落款譜」とする)である。これは,あくまでも年紀落款を中心としたタイムスケールである。加えて明和3年(1766)応挙34歳より使用が確認される「応挙之印」「仲選」(共に白文方印)を中心に編年した。そのため,年紀を有しないものや,前記以外の印を使用したものについては,現段階では参考的に扱っている。以下,このタイムスケールから判明した点あるいは,生じた疑問点を列挙したい。なお,今迄に集積したデータは,応挙作品全体の比率から見て,まだまだ少ないため,あくまでも現時点における推測であることを強調しておきたい。1.応挙の作品に年紀落款が伴う初見は,明和2年(1765)33歳の「雪松図」(東博)をもってする。この作品は,応挙様式が確立した記念碑的作品とされる。しかし,後にも触れるが,ここに使用された印は,他の同類の印と一致しない。して来た。図版等では「寛延巳巳夏園岩二郎洛陽散人園岩二写」とある「雪景山水図」が紹介されている。寛延2年(1749)は応挙わずか17歳である。また,宝暦5年(1755)現在のところ概括的な見方として,「落款譜」のNo.l■5は,20■25歳頃の作品,という範囲で考えておきたい。“仙嶺”の署名と「倦嶺」「平安人圃氏字仲均」の印を使用する作品は,明和2年春が5点,夏3点,秋なし,冬2点,明和3年春1点の計11点で,他に無年紀が14点知られている。ところで,先にも触れたとおり「雪松図」(東博)の印(No.15)は他の作品の印と明らかに異なる。現在のところ“仙嶺”落款の原寸写真を入手したものは,No.11■18-82 _

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