1955年グラスゴー大学に遺贈されたのであった。ップは,グラスゴー大学にまず1935年所蔵する多数のホイスラー作品を,1955年にはホイスラー書簡ほかの資料を寄贈,さらに1958年彼女が没したときには,残りのホイスラー作品とホイスラーの遺品を同学に遺贈したのであった。また,ホイスラーの兄ジョージの娘ジュリアの息子ジョセフ・レヴィロンは,1945年ホイスラー作品のカタログ・レゾネを作ろうとして,資料や写真の収集をはじめたが,ジョセフ自身の死によって,この計画は頓挫した。ただ,このときの収集資料が,このようにしてバーニー・フィリップ,レヴィロンの資料が,現在グラスゴー大学図書館に収蔵され,その総数は,おおよそ6000点といわれる。ワシントンのペネル・コレクションは,ホイスラーの伝記を著すために精力的に集められたわけであるが,ペネルは資料収集,著述の段階で,どうやらロザリンドの協力が得られなかったようである。『ホイスラー伝』の改訂版の第6版が1920年,これを補う形の『ホイスラー・ジャーナルThe Whistler Journal』が1921年に出ているが,両著おいても当然バーニー・フィリップ所蔵の資料は使えなかったはずである。とするとワシントンのペネル・コレクションは,『ホイスラー伝』『ホイスラー・ジャーナル』という形でその研究成果が結実しているということができようが,1955年,大学という公的機関に,バーニー・フィリップとレヴィロン収集の関係資料が入った。このグラスゴーの資料は,まだ研究の余地をかなり残しているといえよう。そこで,今回はグラスゴーの資料の調査を優先して重点的に行い,ワシントンのペネル・コレクションやフリアーの資料については,予備的な調査にとどめた。目下なおも調査で得た資料のコピーなどを検討中であるが,ここではグラスゴーで得た成果の一端を記して報告に替えさせていただく。グラスゴー大学のホイスラー関連資料は,書庫の一室にまとめられていて,データの一つ一つについてカードに全文あるいは概略が記されている。まずこれらのカードを束ねた小型のバインダー一冊一冊を一枚一枚調べ,重要と思われるものはコピーをしてもらった。その上で特にその場で実見すべき資料は現物にあたって調査し,必要なものについてはコピーあるいは写真複写をしてもらった。今回特に有意義だったと思えた資料は,ホイスラーの講演『テン・オクロックWhistler's Ten O'clock』(1885年)に関するものであった。その中には,恐らく講演するときに読み上げたと思われる原稿,あるいはそのための草稿や講演会場の座席表があった。座席表には,聴衆の-88 -
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