(10) ヴィクトリア朝挿絵本の研究研究者:早稲田大学文学部助手谷田博幸研究報告:「挿絵」というとあくまでテクストに依存した芸術性の低いものと考えられ,とりわけ絵に対する「挿絵のようだ」という評言が軽蔑的な意味で用いられる場合をよく耳にする。挿絵がこのように低い評価を受けてきている原因には,大旨以下の二点が挙げられるかと思う。つまり教科書や絵本の本文の補助としての教育的効果・価値のみが重視され,絵の付いた本は子供のものという通念が一般化したこと。またいま一つは,芸術の自律性の観念が浸透するとともに挿絵というものが文学テクスト本来の純粋な喚起力を歪め,読者に一つの偏った読み方を強いるとする根強い意識が定着したことである。こうした理由から,従来挿絵というものが美術史の対象として正当な扱いを受けてきたとは言い難いというのが実状である。しかし十五世紀以来,挿絵とテクストが相補いあるいは互いに牽引し合って,絵だけでもテクストだけでも醸成し得ない挿絵本独自の豊かな世界を開示してみせた例が少なくないことも否定できない。かくも長い間,人々が必要と考え,惜しみない時間と労力を割いてきた挿絵というものに真摯な学問的考察が及ばないとすれば,それは単なる怠慢以外の何ものでもないだろう。「ヴィクトリア朝挿絵本の研究」に対する今回の助成では,主に次の二点を主眼として研究・調査が行われた。つまりヴィクトリア朝の挿絵本並びに作家,挿絵画家,彫師等に関する文献資料の収集と,挿絵本研究の方法に関する基本的なモデルの構築である。文献の収集に関しては,幸いヴィクトリア朝挿絵本の隆盛の基礎を築くことになったS.ロジャーズ,ディケンズなど貴重な挿絵本初版,諷刺漫画雑誌『パンチ』誌の初期二十巻余りをはじめ,いくつか挿絵画家,彫版師(エ房),挿絵研究に関する重要な文献を入手することができた。近年,海外において漸く挿絵(本)に対する関心が高まり,少しずつではあるが見るべき研究も出てきている。例えばE・ホドネットは,長年の英国挿絵本研究の成果として『イメージとテクスト一英文学の挿絵の研究』(ロンドン,スカラー・プレス,1982)を発表し,その第一章において作家と挿絵画家の関係,出版社の役割,印刷・製本等の技術的側面など挿絵本の成立を規定する様々な要素に注意を向ける必要を説き,挿絵本研究の基礎作業の-90 -
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