よししばこうかんおくむらまさのぶこうかんかつしかほくさいひろしげうたがわとよはるきたおまさ(1'!.) 江戸時代後期の美術における西洋銅版画の影響についてり,2年間にわたる今回の調査研究の大きな収穫であった。あらためて財団法人鹿島美術財団に多大な謝意を表するものである。今後,鹿児島の御用絵師のみならず,江戸時代の絵師作品を鹿児島を中心に発見すること,他地域の資料と比較検討することによって,鹿児島の江戸時代の絵画の流れとその特徴,御用絵師の系譜がより明確に把握できることになると思われる。一方,犬追物資料の調査は,鹿児島の絵画史のみならず,歴史学的にも,有職故実の分野においても,非常に重要なものであることが理解された。これについては,今後,松尾千歳が主として研究を進めることになった。なお,本年の松尾千歳による犬追物関係の研究成果は,『館蔵「犬追物図」について』として,尚古集成館研究紀要第2号に発表されることになった。研究者:神戸市立博物館学芸員江戸期に舶載された西洋銅版画の一例ーオランダで得た知見を中心に一研究報告.. 浮絵と西洋銅版画導入の後,日本の絵画で最も早く本格的に西洋の線遠近法をとり入れたのは,浮世絵であった。誇張した線遠近法構図で画面の骨組みをつくり,平面に三次元的奥行きを生み出すことをねらった浮世絵が,江戸時代中〜後期に流行する。それらが,風景や事物が浮き上がって見えることから「髯麟」と呼ばれたことは周知のとおりである。浮絵には,肉筆,版画の両方が伝存しているが,年代推定ができるものは,現在のところ浮世絵師奥村政信が版下絵を描いた元文5年(1740)の芝居小屋の大型版画が最も古い。確実に年代が特定できる資料は,やはり奥村政信が描いた寛保4年(1744)の芝居小屋の図である。浮絵,すなわち日本における線遠近法を強調した絵画は,だいたいこの頃に巷間に流布し始めたとみることができる。政信らが制作した初期の浮絵に取り入れられた線遠近法は,後の歌川豊春,北尾政美,司馬江漢,また葛飾北斎,歌川広重などによる風景画の構成の基盤となったものである。初期の浮絵は,江戸時代後期における日本絵画の「写実」を考える意味で除16世紀末から17世紀前期のいわゆる「初期洋風画」に見られる不完全な線遠近法の岡泰-97 -
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