とやまきら京都にあった西洋銅版画かつて澤村専太郎氏は,昭和6年(1931)刊の『日本絵驚史の研究』(星野書店)の中の「本邦藍場に及ぼせる西洋版画の感化」と題した論考で,江戸期における舶載銅版画を何点か挙げられた。そのうち筆者が注目したのは,「杉浦氏」の所蔵になるという「着色欧州風景画26枚」という資料についてである。この26枚の風景銅版画は,明治39年(1906)に東京帝室博物館が開催した「嘉永以前西洋輸入品及参考品」展に出品されたものと特定できる。なぜなら同展の目録277番に「欧州風景画銅版,着色,縦八寸八分,横一尺五寸,説明書一冊添,外国製26枚」とあり,所蔵者は「京都市・杉浦三郎兵衛」と記されているからである。目録の寸法をセンチに直すと,約26X45.5cmで横長の銅版画であったことがわかる。この一括の銅版画は,まず澤村専太郎氏が注目し,その後,外山卯三郎が『日本初期洋書史考』(昭和7年<1932〉建設社)の中で重ねて言及するに至る。外山氏は「彩色銅版・巴里其他風景画・額装26枚」と記し,「タアリンナソット中井厚澤解説宝暦元年(1751)刊」と記している。先述の帝室博物館の展覧会の目録中にあった「説明書一冊」の記載が中井厚澤の解説による冊子であることが想定される。江戸期に翻訳者の解説を付され,大切に額装され伝世したわけである。この風景銅版画に対して,江戸期になされた手厚い珍重ぶりがうかがえよう。筆者は,この26枚の銅版画が変転して,現在,東京の個人所蔵になっていることをつきとめ,調査を行った結果,中井厚澤の解説書は失われ,一部散逸したものか,銅版画は20枚しか見い出せなかった。諸図は,木枠を施した黒い台紙に貼りつけられている。裏面は雲母引きの紙で裏うちされて,実に丁寧な表装が施されている。画面の周意に黒ぶちのボーダーあるいはフレームを設けるやり方は,西洋銅版眼鏡絵によく見られる仕立てである。おそらく,この一括の銅版画にも舶載当初は,のぞき眼鏡(オフ°ティーク)が付属していたと思われ,額装した諸図をいったん鏡に反射させ,レンズを通して鑑賞したのであろう。西洋の眼鏡絵によく見られるように,画面上部,あるいは下部に付された図の説明,版元名などを記した部分を切り取って,額の裏面に貼りつけている。そこに記された制作年の最も古いものが1751年であり,先述の外山卯三郎氏による宝暦元年の年代特定は,そこから出たものと思われる。これらの銅版画は,少くとも宝暦年間以降,江戸期に長崎・出島を通じて日本に舶載され,それを京都の杉浦氏が購入したものと考-99 -
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