鹿島美術研究 年報第5号
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ふんばんみながわさえんざいちゆうひ:::せま(おうさよ)図3セントヘレナ島図(イギリス製銅版画)えられる。杉浦氏は,円山応挙ならびに原在中などの庇護者のひとりであったと考証されている。当時の先進的な知識人層と進取の気風に富む絵師たちが制作画と資金面の双方で結びついていたことは充分あり得る。出島を通じて舶載されたこれらの銅版画類を出入りの絵師たちが好奇の目をもって閲覧したであろうことが推察されるのである。18世紀後期舶載の証左大変興味深い事実は,この現存20枚の銅版画(以下,杉浦氏旧蔵銅版画と記す)のうちー図「セント・ヘレナ島図」を原派の創始者,原在中の二男,原産溜I(1778■1844) が臨模する形で入念に写し取っていることである。(図3• 4)その作品は,故渡辺紳一郎氏のコレクション.(横浜市)の調査の折に籠者が偶然に見い出した。図中には,京都の高名な儒者皆川澳園(1734■1807)の跨文があり,在明が弱冠15歳でその図を描いたことについて「まことに巧ありて呉に逼る(原文漢文)」と賞賛している。「寛政乙卯春三月」の年記もある。寛政7年(1795)のことである。この原在明の模写の例だけではな〈,杉浦氏1日蔵銅版画20枚の中に,江戸期の絵師の粉本になったと思われる作例が,さらに2点見い出せた。それはI應挙洋風盪集』(昭和11年<1936〉芸術学研究会)に掲載されたうちの一図で,原図はイタリア・ナボリの眺望を描いたと思われるもの。(図5• 6)さらに神戸市立博物館の「西洋公園図」のもとになったと思われる原図も見い出し得た。(図7・8)これら2点の肉筆画は(ナボリの眺望図は未見である),別に舶載された同様の図を写した可能性を考感しなければならないにせよ,杉浦氏旧蔵銅版画を京都で閲廃して写したということも充分あり得ることなのである。「ナポリ眺望図」や「西洋公園図」は様式から推定して,18世紀中〜後期に肉筆眼鏡絵を制作した京都の絵師(円山派か?)の仕事であるよう図4セントヘレナ島図原在明筆-100 -

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