10月表:枇杷花,裏:時雨小鳥11月表:寒菊,裏:鴫枯芦12月表:雪中熊(小松あしらひ),裏:岩間流水① 山楽・山雪山水帖1帖② 由緒書写(嘉永5年5月ほか)3部年(1770)9月以降禁裏御絵師として御月扇御用,手当を年に白銀15枚を受け,士5月表.・早乙女,裏.・若竹6月表:滝山水(墨絵泥引),裏:青紅葉7月表:鵜飼舟(川辺柳月あしらひ),裏:昔鳥8月表:稲のほ(虫あしらひ),裏:群雀9月表:飛鶴,裏:野菊いずれも季に適った図様ばかりである。しかしこれらが毎年毎年くり返され,しかも三家によって描き続けられていたとなると,似たりよったりのものとならざるをえない。そこで少なくとも各月の図様の重複を避けるために図様の勘案をそれぞれから出させ,調整をはかるのが御絵様窺なのである。当該の狩野家「窺相」に相当する時期,土佐家は光文,鶴沢家は探真,狩野家は永祥の代にあたっていた。永祥の前代永岳が元治元年(1864)5月に金箔,絵具の高騰を歎き,三家の待遇格差を訴えつつ御月扇料の加増を願出た(略目録⑦)のに対し,慶応2年(1866)4月に勘使所から盆暮に銀十枚宛の加給の御達(略目録⑧)があったことや,それに永祥による明治3年4月の再加増願(略目録⑨)など,諸資料と合わせながめることにより御月扇御用の内実がいっそう初彿としてくる。加えて「御用オロ」,「日記」類とのつき合わせも興味深いところであるが,「御用相」および「日記」の解読は意外に手間どり,なお時間を要するため他日を期したく思っている。以下,今調査資料の略目録を付しておく。山楽・山雪画の縮図を画帖の表裏に48図貼り交ぜる。中には山楽および山雪の画稿と目されるものも認められる。京狩野歴代の禁裏との関わりを記す。山楽は元和寛永の頃に禁裏御所,仙洞御所,二条城,大阪城の御絵御用。山雪は寛永慶安の頃に禁裏御所,仙洞御所,二条城の御絵御用。永納,永敬,永伯は慶安から明和の頃に御所の御絵御用。永良は明和7分帯刀。永常,永俊,永岳と永良同様に御月扇,その他御絵御用。弘化3年(1846)-109-
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