鹿島美術研究 年報第5号
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Popolare di Veronaによって1988年末に出版される予定である。報告書の監修者は,図3察についても詳細は,前述の多摩美大紀要論文に譲って,ここでは一例のみにに言及する。同礼拝堂に隣接する聖堂主祭室右側壁に残る壁画断片<聖ユリアヌス伝の一部と司教聖人>もまた今回修復されたが,その結果,この断片は隣接するグアンティエーリ礼拝堂の壁画の制作と前後して同じくジョヴァンニ・バテ‘、イーレエ房によって制作されたものと,様式的な比較から推定しうる。そのうち,聖ユリアヌスが妻とその愛人と勘違いして刺殺した両親(図3)は,様式的に司教聖人像の制作者(ジョヴァンニ?)と明らかに異なる「手」によって描かれている。この両親像に様式的に類似する極めて粗放な運筆による幾分野卑な人物表現を,例えばグアンティエーリ礼拝堂<荒野に隠栖した聖ヒエロニムス>(医4)に認めることができる。こうした人物表現は明らかに工房の手になるものである。1988年3月中旬に同礼拝堂の壁画修復は終了したが,それによってこの壁画に制作の「手」を識別する作業は一段と容易になったと期待される。その修復の研究報告書は前記Bancaヴェローナ歴史記念建造物監督局マウロ・コーヴァ監督官であり,またテキストの約半分を当報告者が担当することが.出版企画の段階で取り決められた。それ故,修復後の壁画の写真は報告者のために銀行の経費によって撮影されるが,その打合せのため.1988年3月再びヴェローナに赴いた。以上のような壁画調査を通じ,マントヴァ公爵宮[ピサネ,レロの間」の壁画装飾にお-114-図4

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