鹿島美術研究 年報第5号
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はL.CASTERFRACHI, "Intorno agli affreschi zavattariani di Monza", in Arte 1333年,亡きティエーネ領主ヴィンチェンツォ・ティエーネの息子たちミリオランツ陣壁画の調査撮影から明らかになった新知見を以下に要約する。同サン・ヴィンチェンツォ聖堂は,聖堂正面に設置された碑文から明らかなように,ァ,ウゴッチョーネ,マルコによって家族礼拝堂として建立された。14世紀のあいだに,このティエーネ家礼拝堂は教皇庁から各種特権を獲得し,1379年にはティエーネの教会の一つに格付けされるに至った。ほぼこの頃に,次第に増加する礼拝臨席者を受け入れられるように聖堂の増築が行なわれた。その増築の一環に内陣部があった。従って,内陣部に残る壁画はこれ以降に描かれたものである。近年修復された残存する壁画は,私見では様式的なーしかも,恐らく年代的な_見地から三つのグループに分けられる。最も古い時期の作は内陣の弯窟,両側壁のルネッタ部および,現在はほとんど祭壇に覆い隠されている奥壁ルネッタに描かれた壁画である。これに次ぐ時期の制作になるのは,両側壁ルネッタの下方に残る極めて保存状態の悪い六使徒像である。そして最後に制作されたのは,内陣入ロアーチ下面の装飾であろう。これらの壁画のうち,極めて興味深いのは両側壁下方に残る六使徒像である(因にこれは未発表作品である)。というのは,それらの使徒像は,ミケリーノ・ダ・ベゾッツォ自身,あるいは彼の周辺に帰される素描作品に表わされた使徒像に様式的のみならず図像的にも類比しうるからである。例えば,サン・ヴィンチェンツォ聖堂の六使徒像のうち,白い振髪(しゅはつ)の老使徒像(図5)は,ルーヴル美術館所蔵のミケリーノの着彩素描<聖大ヤコブ>(図6)と,特に縁で輪を形づくる特異な衣襲表現やパステル絵具を想わせる清澄な彩色の点で,比較しうる。聖大ヤコブとその隣の使徒(図7)の眼は,めずらしくメランコリックで瞑想的な表情を浮かべているが,これはミケリーノの人物像に特有のものである。また,左手にナイフをもつ聖バルトロメウスは右手をマントに包み込んでいるが,この仕草は(図8)'ミケリーノ周辺の作とされるデュッセルドルフ国立美術アカデミー所蔵の一素描(Inv.F. P. 3528,図版かも,この珍しいポーズの図像ヴァリアントは,ヴィンチェンツァのサンタ・コローナ聖堂ティエーネ家礼拝堂に安置されたマルコ・ティエーネの石棺の上方,ルネッタ内にミケリーノによって描かれた壁画<聖母子,聖ヴィンチェンツォ,聖マルコ,聖~. n. 80/81/82, 1987, fig. 14 ; Arte in Lombardia tra Gotico e Rinas-~. Milano, 1988, n. 15, p 121を参照)の中の右側の使徒のそれに合致する。し-116-

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