画家に関する記述と比べても異例である。例えば馬遠は「山水・人物・花禽」,夏珪は「山水・人物」,梁楷は「人物・山水・釈道・鬼神」といった簡略な記述に留まっているのである。君台観左右帳記の別本,慈照寺本ではさらに「常牧癸谷萬物を豊」とまで記されている。仏日庵公物目録における記載を喘矢とする,わが国に於ける牧癸谷画に対する熱狂とも言えるような関心の深さは,ここで改めて述べるまでもないだろう。そしてその牧裕に対する評価の中心には常に観音猿鶴図,灌湘八景図が位置していたことはいうまでもない。これらの作品の持つ,水墨というマチェルを最大限に活かすことによって得られた特性は,今日に至るまで牧癸谷を語る上でのキーワードとなっている。確かに阿弥派の行体山水図や長谷川等伯の松林図が水墨というマチェルの効果に対する関心を中心にすえた牧裕体験無しには成立し得なかったものであることはいうまでもない。しかし,室町時代の多くの水墨画を見るとき,先に挙げた君台観左右帳記の記載に象徴的なように,様々なかたちを提供してくれる“モチーフの宝庫”とでもいうべき牧裕理解があったということは否めないであろう。室町の画家たちにとってモチーフのかたちの問題は,マチェルの問題と同等に,いやそれ以上に重要な意味を持っていたのではないだろうか。現存する牧裕画の中で,マチェルの効果への依存度がもっともく,各モチーフの形態が大気の中に溶解するような表現をとる灌湘八景図があれほど珍重されたものでありながら,この作品に依った直模的な作品が極めて乏しいという事実は以上に述べた室町時代の画家達の牧硲理解を考えてみる上で示唆的である。さて,現存する牧癸谷筆芙蓉図(大徳寺蔵),柿図・栗図(龍光院蔵)が花丼雑画を描いた画巻の一部であることは確実である。また,助庵日飯・客来一味双幅(御物)も画巻の一部である可能性が高い。また,台北・北京両故宮博物院には牧硲画という伝称を伴う花丼雑画巻が各一巻ずつ所蔵されている。さらに李日華の六研斎筆記をはじめとして,中国側の資料には牧硲による花丼雑画がかなり著録されており,これら一群の作品が牧裕画を考察する上で重要な位置を占めることは従来より戸田禎佑氏によって指摘されてきた通りである。日本に於ける牧硲画の受容を考察する上でこの花丼雑画巻と呼ばれるグループは極めて重要であろうと考えられる。また逆に,室町水墨画の資料を活用することによって,現在はその大半が失われてしまった牧癸谷の花丼雑画巻を再構成することもある程度可能であろうと思われる。つまり,従来のような一方的な影響関係という文脈から脱して,日中双方の作品をより総合的に牧硲資料とし-119-
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