・柳燕•竹雀図三幅対のうちの竹雀図,さらには東博蔵狩野派模本中の牧硲印を有てとりあげることによって,牧硲研究,室町水墨画研究を有機的に関連づけていきたいのである。その第一歩としてここでは失われた花丼雑画巻に由来すると思われるモチーフを整理してみたい。例えば近年発見された能阿弥筆花鳥図屏風(四曲一双)が牧裕画の影特下にあることはいうまでもないが(国華誌上の米沢嘉圃氏の論文参照),そのモチーフの源泉をたどっていくとほとんどすべてが花丼雑画巻ないしはその延長線上にある牧癸谷画に帰着するのであり,それ以外の要素の混入を意識的に排除しているかのようである。そして,作者の能阿弥は牧癸谷画をよく知っているこの作品の鑑賞者が典拠となった牧爺画を即座に想起することを明確に意識して構成しているのである。つまりこの作品はもとになったものが解ることによってより一層楽しめるという一種の“見立て”の機能を有しているのである。牧裕様,馬遠様,夏珪様といったいわゆる“画様”の問題は,これまでも様々に議論されてきたが,この作品はさらにこういった“見立て”の概念の導入によって“画様”の問題をとらえ直してみることの必要性を示唆しているのではないだろうか。画面に即して各モチーフを検証すれば,まず指摘されるのは右隻右第二扇上部の松枝と雀の組合せである。このパターンを反転させれば,樹木の種類こそ異なるものの(この松かさのついた松は牧裕筆臥々鳥図に見られるパターンである),台北本花丼雑画巻の中に見られるパターンと一致する。さらにこのパターンは藪本氏蔵伝牧裕筆豊する竹雀図にも踏襲されている。従ってかつて日本に伝来し,現在は失われてしまった花丼雑画巻の中に台北本と酷似するこのようなモチーフが含まれていた可能性は非常に高い。少なくともこのパターンが牧癸谷自身によって創製され,まさにモチーフの手控えとしての機能をも持つ雑画巻に描き留められ,自身による場合をも含めて日中双方の画家によって様々に応用されていったものと想像される。すでに戸田禎佑氏はこのパターンと徳川美術館蔵伝牧諮筆柳燕図との関連を指摘しておられるが,ここに挙げたような作品をも合わせて考察すれば戸田氏の言われる所在不明の“ー等本”花丼雑画巻(石渠宝笈初編及び故宮已侠書画目に著録されるもの)を想像する作業はさらに充実したものとなろう。また,能阿弥筆花鳥図屏風の左隻左第一二扇に見られる土坂と双鳩のパターンも台北本花丼雑画巻と通じるものであり,さらに台北本により近いパターンを示すものとして「雑画室印」・「善阿印」を有する中埜家蔵双鳩図(探-120-
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