鹿島美術研究 年報第5号
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幽による模写も東博に所蔵される)を挙げることができる。この双鳩図,能阿弥筆花鳥図屏風台北本はいずれも淵源となった牧爺真作に描かれた岩上の双鳩を想像するための資料となろう。さらに,山茶花,ル\々鳥,二羽の燕,鵠など,台北本,北京本と共通するモチーフはもちろんのこと,競,鴛喬,雁など,台北,北京本には見られないモチーフも,他の伝牧裕作品,室町水墨画とあわせて検討することによって現在は失われてしまった牧硲画を再構成するための重要な資料となろう。このように,能阿弥筆花鳥図屏風は花丼雑画巻ないしはその延長線上にある牧硲画のモチーフを駆使した作例であることはあきらかであるが,前述したいわば“牧妥谷見立て”としての機能を考察するために,さらに重要なポイントがある。それは,一見目立たないようにではあるが,本図の背景ともいえる部分に巧妙に観音猿鶴図のモチーフが織り込まれているのである。即ち,左隻左端の上方がぼかされた竹は鶴図に,ー又に分かれて画面の奥に消えていく蔦の絡まった枯木は猿図に,そして右隻右端のテーブル状の岩は観音図にそれぞれ由来するということは,この原典を知る者にとっては心憎い演出として容易に認識できるであろう。「為花恩院常住染老筆」という本図中の為書きから考えて能阿弥が特定の鑑賞者の持つ視覚体験を意識して制作していたことは明らかであり,この作品は当時の画家と鑑賞者の関係を考察する上でこの上ない貴重な資料と言えるであろう。この作品の如くいわば“牧裕づくし”とでもいうような大画面の遺例は極めて稀であるが,他の室町水墨画の小品の中にも明らかに花丼雑画巻に由来すると思われるモチーフは多数指摘できる。一例を挙げれば,北京本に見られる弧を描いて体を曲げる魚を真上から描く特徴的な図様は,バークコレクション蔵楊月筆藻魚図,式部輝忠筆扇面貼交屏風中の一図に応用されている。また,東博所蔵の狩野派模本中には,おそらく花丼雑画巻の断巻と思われるものがかなりある(東博所蔵番号5396,5440, 5443, 5445, 6742)。その中には束ねた裁莱,土破と蟹の組合せなど台北本,北京本と近似するモチーフも多く,また,例えば蓮図のように有馬玄蕃頭が秀吉から拝領したというような伝来が留書から判明するものもあり,今後のさらに詳しい検証によって,牧妥谷画のモチーフの整理はさらに進展すると思われる。室町時代の日記類などの文献に表れた牧硲画の資料については,すでに戦前に谷信ー氏によってかなり詳しい調査がなされているが,そこでは基礎的なデータの集積に徹するという姿勢が貫かれており,敢えて現存する作品との対照は避けられている。-121 -

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