で表現されている。この種の貴人表現による四天王は,インド南東部のナーガルジュナコンダでも,西北部のガンダーラ地方でも紀元後三ー四世紀に至るまで表現され続けている。一方,中央アジアの遺例には,コータン東北方のラワク遺跡の四面斗出形仏塔周囲にみる塑像(四00年頃)や,付近のダンダンウィリク遺跡でも,邪鬼を踏み立つ塑像(六世紀)があり,どちらも武人形である点が注目される。三敦煙莫高窟四天王図像敦煙莫高窟所在の独立した天王図像表現(壁画・塑像)は,総計一八三窟にみられ,その制作年代は西魏から清代にわたっている。しかし表現される場所は,前室・雨道・主室の中でもかなり限定されており前室西壁門口南北65 雨道主室西壁同東壁その他という結果が得られた。(なお,同一窟中でも複数の場所が表現されることもあり,窟総数と出現回数は一致しない)また,その制作年代は,多い順番に前室主室に分類される。このうち塑像表現だけをとりだすと同門口上五代晩唐盛唐中唐その他盛唐中唐初唐晩唐五代その他21 12 67 27 11 36 14 11 10 21 27 18 12 11 11 15 -124-
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