同となる。画題とその場所をみると昆沙門天赴那咤会図前室西壁門口上(初唐ー五代,15例)門口両側(宗代,6例)二)四天王ア)前室西壁と南・北壁(中唐ー五代,3例)イ)主室西壁(西魏・中唐,各1例)同東壁(隋•初唐・中唐,計6例)同中心仏壇(五代,1例)ハ)主室窟頂四隅0西方天,北方天,南方天,東方天の配置(五代,3例)0北方天,東方天,西方天,南方天の配置(五代,宗代,各3例)三)干閻国建国伝説にかかわる昆沙門舎利決海図雨道(初唐・晩唐・五代,計7例)前室北壁(中・晩唐,1例)主室諮頂帳形寵内(中唐,2例)となる。以上の諸点を総合していえることは,四天王にはいくつもの性格が付与されており,複雑な尊格であること,すなわち敦燻莫高窟所在の独立した天部形四天王表現は,ー)門神的性格(前室西壁門口両側,主室東壁門口両側),二)護法神的性格(主室西壁仏寵内,外)と三)鎮窟神的性格(五代,宗代窟窟頂四隅)の三つに大きく分類できること,中央アジア独特の建国伝説が表現されていること,塑造四天王は隋窟に一例みるのみで,残りはすべて二天であること,主室西壁と南・北壁を利用して四天王を配していたのが,五代に入り背屏式石窟構造採用とともに,窟頂に上ったこと,二天の組合せが,南北に置かれた場合,圧倒的に南方天,北方天であるが,中唐・五代窟には,南方天・東方天や北方天,南方天の組合せ(計6例)がみられ,窟頂四天王の配盛唐中唐初唐その他15 3 9 -125-
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