51歳「寒山・拾得図」(幻住庵)「仙届氏」56歳「寒山・拾得図」(出光美術館)「仙厘之印」は見られない。これらの印章を伴った,年紀銘のある作品をあげておこう。58歳「利久居士像」(福岡市美術館)「仙厘之印」58歳「i為仰問答図」(幻住庵)「仙厘之印」59歳「鍾旭図」(出光美術館)「仙厘之印」59歳「百丈野狐図」(出光美術館)「仙厘之印」作風の展開を考察するには,作品数があまりにも乏しいが,これらの基準作とともに,同じ印章を使用した年紀銘のない作品は,30点ほど確認できた。これらの作品の各々について言及する余裕はないが,全体を見渡して指摘て‘きるのは,まず第1に,戯画,風俗画の類いが含まれていないこと,第2に技法的に見て統一感がなく,いろんな表現上の試みをしていることがあげられる。第1点に関しては,先述の「一家団業図」の存在から考えると,聖福寺住持に在職中という情況が,仙厘をして,1点も戯画を描かせなかった理由であるのかもしれない。第2点の特色は,百堂時代が,絵画様式の模索の時代であることを示していると解釈できる。特に構図に対しては,壮年期初期のぎこちなさが次第に払拭され,職業絵師的ともいえる技巧的な構成も見られ,50歳代に至って,後の仙厘独特の画風確立の準備ができあがったといえるだろう。またこのような壮年期の作例の考察を通じてのみ,一見捕らえ所のないようにみえる晩年の豊かな画風展開も,理解できるのではないだろうか。以上はなはだ簡単ではあるが,現時点での中間報告として述べた。以下の詳細については,本年12月刊行予定の『仙厘―その生涯と芸術』において論及したい。-134-
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