3.貝助の作品の特徴6寸の古銅形花瓶二対(古代模様)及び最終の製品顔洗道具等。後の二者は最も精巧を極めたものという。最終というのはアーレンス商会での最後の作品ということらしい。またこの顔洗道具というのは,明治13年にベアが明治天皇の御遊艦「迅鯨艦」のために献納しようとした「洗面鉢並扉金物,極上等七宝焼(価格三千五百ー四千円)」だと思われる。⑨アーレンス七宝工場に於て,ワグネル製出及貝助案出の琺瑯に依て製造せし品類として,陶胎七宝と銅胎七宝にわけて次のようにまとめる。陶胎七宝は,フランス製陶器を素地とし,径4寸以上1尺8寸までの角板,丸板,高1尺以上1尺6寸迄の花瓶及び香炉約千個以上。銅胎七宝は,径4寸以上1尺迄の皿,高1尺5寸以上1尺7寸迄の花瓶,径2尺5寸の大板,香籠及び御座船用顔洗器。貝助は遠島ヘ一旦帰郷したあと,明治13年に再び上京し,涛川惣助の工場に入り,そこでも「種々の名器」をつくり出した(輌江釣伝)というが,詳細は不明である。恐らく,涛川惣助の名で発表されたにしても,これはいまは問わない。この作品目録から次のことが明らかになる。①アーレンス商会では陶胎七宝も銅胎七宝もともに製造していたこと②古代模様の古銅形花瓶のような古器に倣った作品とともに,名古屋城写しの丸皿,雪中芦雁花瓶,秋の山水香籠のような絵画写しの新器をも製造したこと③陶胎七宝の陶器がフランス製であり,しかもその製造数が約千個であることであり,これにワグネルの指導による七宝顔料の改良を加えれば,貝助の作品,つまりはアーレンス商会の製品のイメージはほぼ出来上ることになる。ワグネルの指導による七宝を,まったくフランスの製法に模擬したもので,原料はもとより,色合もひたすらに美麗であることを追求したために,日本固有の温雅な色合を失い,洋化だといって非難されたこともあったらしいが,従来の泥七宝の色彩に光沢を与え,明るさと輝きを付与して,近代化をなしたことは評価し忘れてはならない。彼は「旧来濶濁せる釉を清澄にし美麗なる色彩を作り以て我が七宝界を革新」したというのは事実らしい(『ワグネル伝』20頁)。そのワグネルが七宝の改良に取り組んだのはアーレンス商会の依頼によってであっ高1尺2寸許の花瓶一対(雪中の芦雁),5尺3寸角香籠1個(秋の山水),高1尺-141-
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