鹿島美術研究 年報第5号
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(22) 日本古代仏教彫刻史における中国美術の受容研究者:東北大学文学部助手長岡龍作研究報日本古代彫刻史の中に当然存在する中国美術(外来美術)的なものを見出すという作業は,日本彫刻の祖形を想定することを可能にしてくれる。そして,その作業は中国作例との具体的な比較を通して正しくなされなければならない。なぜなら,両者の関係は単純な全面的供与受容のそれではなく,受容者によりその価値基準に基づいた選択が行われているため,両者において表現されているものが類似しながらも相違を持つという現象を生じさせている場合があるからである。それゆえ,個別的,具体的な議論は,両美術のもつ共通性と異質性を明確化するという観点から進められることが望まれるのである。そして,逆に,それは日本的なものの生成過程を顕らかにする道にも繋がると云えるだろう。しかし,本来存した数に比すればほんのわずかな部分が残るに過ぎない中国彫刻の現状を考えれば,それも云うほどにたやすい作業ではないのもまた事実である。そのため,中国において近年進んでいる発掘による新たな成果を俊敏に取り入れることが必要となるであろうし,また,失われた作例を可能な限り復元的に考えることも重要な方法となるのである。さて,本研究では,そのような問題意識を基調にして,対象とする時代を8世紀後半から9世紀前半にかけてと定めることとした。それは,この時期が,日本において中国からの影響を最も選択的に取り入れている時代であると考えられるからである。このことは,その先代にあたる8世紀前半の作品との比較によって端的に理解されるであろう。すなわち,薬師寺,法隆寺,東大寺に残る彫刻群に代表されるような天平初期から盛期にかけての作例は,ある意味で中国盛唐期の作風の直模とでもいうべき様式を持ち同一範疇に含まれるものであるのに対し,8世紀後半からの,特に木彫像の出現を中心とする新たな様式展開は,実に多様な諸相を呈し始めるという点飾り等各部の形式・構成が挙げられる。これらは像の持つ本質的な美的価値とは関連が少ない点で,補助的な要素といえるが,記号化が比較的容易であるためその分析には客観性があり,それを手がかりとして有機的な関連を像相互に見出すことは,第一の要素への検討を展望する意味においても,きわめて重要な作業といえよう。第三には,図像がある。これは,像の印相や持物を中心とした,仏教教理と深く関連する形相上の-143-

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