鹿島美術研究 年報第5号
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要素として捉えることができ,特に8世紀以降に隆盛を迎える密教において重要である。図像の検討は,表現の背後にある意味と関連づけて考えられるため造形上の問題に留まらない場合もあり,像相互の有機的関連を跡付けるにはやはり有効な手段である。本研究では,以上の方法のうち特に第三の図像の検討を主要な手段として,より個別的な現象に眼を向け,きわめて限定的な事象ながら密接に関連する中国と日本の造形を提示して,その伝播のひとつのモデルケースとして考えてゆ〈こととしたい。すでに発表した拙稿(1)「山形宝積院十一面観音像をめぐって」(『美術史』121号1987年1月)において論じた十一面観音の作例を中心に跡付けられる中国と日本の造形及び図像の関連について,中国側の作例の提示という内容をもった拙稿(2)「+-面観音再考一揚州出土六臀十一面観音を中心として一」(『美術史学』10号1988年3月)を続いて発表した。これは,本研究の一環として,中国四川省,西安市,鄭州市,揚州市他において行った調査の成果によるものである。これらの調査対象のうち,一連の論述に関連して,特に重要なのは,揚州市所在の石造十一面観音の各像である。以下にその概要を報告する。1987年8月13日,中国江蘇省揚州市の揚州博物館を訪れた。その目的は,『文物』1980里許庄)出土の石造十一面観音像を調査することであった。同館のご好意により菩薩像二体とともに三体の十一面観音像を実見することができた。そして,翌日,揚州西北の蜀尚にある観音山揚州唐代文物展覧場と鑑真ゆかりの古寺大明寺を訪ねた。観音山展覧場には瓜州出土の他の石像が陳列されており,うち十一面観音像は二体あった。さらに,大明寺鑑真陳列室には,日中の友好関係を示す品々に混じり石像が数体展示されており,その中に一体の十一画観音像があった。この像には,出土地は明記されていなかったが,他の像と石質・形状が同一であることにより,やはり瓜州出土作例と判断された。以上の像についての個別的な記述は,先述の拙稿(2)において行ったが,ここでは,これらの作例の有する意義について,図像上の観点からまとめて述べてみたい。それは,第一には頂上仏の形状,第二にはその臀数という点にまとめられる。これらの作例のうちの最も出来のすぐれた二体の頂上仏は身体をもった全身像として表現されている。これは,拙稿(1)において論じた,円仁によって請求されたと年4期に李万才氏「揚州出土的唐代石造像」によって紹介された揚州南部瓜州付近(八-144-

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