鹿島美術研究 年報第5号
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(23) 世紀転換期のドイツにおける総合芸術誌の研究1899-1902),またミュンヘンでは「ユーゲント」(Jugend,1896-1940),「ジンプリFachhochschule Darmstadt Bibliothekなど)において直接に調査し,またこの研究1895年4月に創刊されて1900年7月に終刊に至っており,全5巻21号分からなっていFlaischlen)と美術評論家のリヒャルト・グラウル(RichardGraul)が彼らにとってーユーゲントシュティールとの関連をめぐって一研究者:大阪芸術大学助教授研究報世期転換期のドイツ文化圏においては,多種多様な総合芸術誌が各地で刊行されている。すなわち,ベルリンには「パン」(Pan,1895-1900)と「インゼル」(DieInsel, ツィシスム」(Simplicissismus,1896-1940),「装飾芸術」(DekorativeKunst, 1897 )そして「芸術と手エ」(Kunstund Handwerk, 1897ー),さらにダルムシュタットには「ドイツの芸術と装飾」(DeutscheKunst und Dekoration, 1897-1932), さらにまたウィーンでは「ヴェール・サクルム」(VerSacrum, 1898-1903)と「芸術と手工芸」(Kunstund Kunsthandwerk, 1898-1921)などが刊行されており,総合芸術誌のラッシュともいうべき現象が生じている。そこで本研究者はこうした総合芸術誌について,国内諸機関(大阪芸術大学図書館,京都工芸繊維大学付属図書館など)と西ドイツの諸機関(HessischeLandesund Hochschulbibliothek Darmstadt に必要な文献・資料の収集を行った。以下の報告は現段階での主だった成果の概要である。世紀転換期の総合芸術誌のドイツにおける先導者は「パン」誌であった。当誌は,る(大阪芸術大学図書館所蔵の当誌は10合本に製本されている)。その発行元は,「パン組合」(GenossenschaftPan)であり,芸術家,文筆家,学術研究者そして芸術愛好家が,あらゆる投機からのがれてここに集結し,文芸と美術のための自由で間達な発表機関を結成したのである。当初の編集者は,詩人のオットー・ユーリウス・ビーアバウム(OttoJulius Bierbaum)と美術評論家のユーリウス・マイヤー=グレーフェ(JuliusMeier-Graefe)であり,彼らはボヘミアン的で国際主義的な編集方針を打ち出している。しかし第1巻第3号から詩人のツェーザル・フラィシュレン(Casar代わって編集しており,これに伴って同誌はより中庸的でドイツ主義的な方向へとその力点を転換している。しかしその構成は一貫しており,次の4つの構成要素からな藪亨-147-

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