っている。すなわち,叙情詩や散文詩からなる文芸部門,理論的・批評的な論説部門,様々な技法のオリジナル版画(銅版画,石版画,木版画など)からなる付録美術部門,そして第4の構成要素としての本文中の挿絵と飾り模様である。さて,「パン」誌のユーゲントシュティールとのかかわりにおいてまず目をひくのは,ヘルマン・オブリスト(Hermann Obrist) とアンリ・ヴァン・デ・ヴェル(Henryvan 巻巻第2号)。この二人の芸術家は,やがてユーゲントシュティールの双壁と目されるに至るのであるが,植物形態を詳細に観察して草花を巧みに様式化する前者と,抽象的で空想的な無対象装飾を追求する後者について,その両者の対比がよく浮き彫りにされており興味深い。また,「パン」誌とユーゲントシュティールとの注目すべき結びつきは,新しい芸術概念とその具体化への努力にもあらわれている。当誌においては,絵画・彫刻・建築などのいわゆる大芸術と同等な存在として,ポスター・壁掛・家具・書物などのいわゆる小芸術が等価値的に図示され論評されたのである。それのみならず,小芸術ひいては工芸(Kunstgewerbe)の近代化を起点にして,諸芸術を刷新し,芸術と生活の再統一を促進しようというのが,彼らの願いであった。この思想形成においては,ウイリアム・モリス(WilliamMorris)などのイギリスの手本への依拠が明らかであるが,「パン」誌の全体デザインはこうした願望達成への第一歩ともなった。すなわち,そこではテキスト,挿絵,飾り模様そしてタイポグラフィーなどがその多様性にもかかわらず全体として有機的に統一化されて,一種の「綜合芸術作品」(Gesamt-エックマン(OttoEckmann)などの新進の芸術家・デザイナーたちは,ヒストリスムれをユーゲントシュティールの方向で視覚化することに努めたのである。以上のように,「パン」誌は,ドイツにおける新しい芸術の受胎に向けてオピニオン・リーダーの役割を果すとともに,その実際的な生成の場ともなっており,ユーゲントシュティールと「パン」誌の相互作用は実に豊かで生産的であったといえる。さて,文芸と美術の統一に関して「パン」誌のあとを追ったのが,「ユーゲント」,「ジンプリツィシスムス」そして「ヴェール・サクルム」などの各誌であり,いずれもユーゲントシュティールの発展と深くかかわりあっている。ことに「ユーゲント」誌は,「ユーゲントシュティール」という呼称の誕生にその標題が直接的に結びついてde Velde)の活動に対する逸早いその論評である(前者は第1巻第5号,後者は第3kunstwerk)と化することが目指されたのである。そしてこの折に登用されたオットー・ス(Historismus)の逐語的な装飾デザインを脱して,所与の課題を独自に解釈し,こ-148-
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