Koch)の編集による「ドイツの芸術と装飾」誌である。これは,「工芸領域におけるド第3巻から「万人の芸術(Kunstftir Alle)」誌と合同して「芸術(Diekunst)」誌をおり,当様式の特異性を考察する上で基本的な史料である。そしてこの「ユーゲント」誌は,「芸術と生活のミュンヘン絵入週刊誌」という副題を伴って,1896年に出版人のゲオルク・ヒルト(GeorgHirth)によって始められた。ここでは,美術,文芸,政治そして社会生活などが広範囲にとりあげられ,戯画をまじえて大衆向きにこれらの記事が編集されている。当誌においても,テキスト,挿絵,飾り模様そしてタイポグラフィーの有機的統一が目指されているが,最も注目されるのはその表紙デザインである。これには,ほとんどの著名なユーゲントシュティールの芸術家が協力しており,その色彩豊かな新しい感覚のデザインがユーゲントシュティールの主要モチーフと相侯って大衆の間に一大センセーションを巻き起した。その結果,当誌はユーゲントシュティールの急速な大衆化を助長していくのであった。ところでまた,その当時ドイツでは新しいタイプの工芸専門誌も出現している。これらは,イギリスの工芸専門誌「ザ・ステューディオ」(TheStudio, 1891-)に対抗して始められているが,「パン」誌の工芸への強い関心をひきつぎさらに展開させている。その典型的な雑誌は,ダルムシュタットの出版人アレクサンダー・コッホ(Alexanderイツ的芸術活動のための雑誌」を標榜し,自由芸術と応用芸術の再統一によるドイツ芸術の再興を鼓舞している。当誌の内容は,当代の芸術家・デザイナーたちの活動,建築デザインや室内装飾や工芸などの一般的問題,工芸教育の問題,そして内外の展覧会評などから構成されている。また,当誌は,ューゲントシュティールの華とも称された「ダルムシュタット芸術家村」(DarmstadterKtinstlerkolonie, 1899-1914) の宜伝機関として,これに関する各種の記事やドキュメントを掲載しており,当運動の歴史研究に関しても重要な意味を有している。また,当誌と同じような工芸専門誌として,ューゲントシュティールと一体化したのが,ミュンヘンの「装飾芸術」誌である。マイヤー=グレーフェと出版人のヒューゴ・ブルックマン(HugoBruckmann) によって創刊された当誌は,「ドイツの装飾と芸術」誌とは対照的に,その視座を全ヨーロッパに向けており,国際的な工芸情報の提供に特色をみせている(なお当誌は,形成している)。またこうした工芸専門誌は,懸賞設計をポスターから家具にいたる多種目にわたって募っており,ューゲントシュティールを実際製作の側からも鼓舞している。しかし他面において,こうした工芸専門誌におけるユーゲントシュティールの-149-
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