鹿島美術研究 年報第5号
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としてこの小世界に寄り集う。雪斎は,その座(サロン)の主催者でもあった。雪斎の交遊や作品に調査の手を加えることは,結果的に,江戸時代後期の文人の世界に踏み込むことにもなる。今回の調査では,その一歩として,雪斎の絵画作品の調査,文献の調査を主として行い,雪斎に関する美術史上の基礎的な問題を明らかにすることに努めたいと考えた。雪斎の作品筆者の勤務する三重県立美術館では,以前から三重県に係わる近世絵画の調査研究を継続して行っているが,その一環として増山雪斎の作品についても,調査を進めてきた。すでに行われた調査と今回行った調査によってかい集した作品データ件数は40件になった(別表参照)。現段階では制作年代についての考査はまだ行っていない。そのため,この作品リストでは,便宜上,有年紀作品を上半に年代順に並べ,無年紀作品を下半に順不同で羅列している。主題別ジャンルは,花鳥画を主体に山水画,人物画の各分野にわたる。増山雪斎は,一般に南頻派の花鳥画の作者とみられがちであるが,その作域が意外に広いことを,このリストは語っている。しかし,その大半を占めるのは,やはり花鳥画であるが,雪斎の花鳥画は様式的に大きくふたつに大別することができる。ひとつは南頻風の濃彩による写実的な密画で,ひとつは文人画風の墨筆・淡彩による写意画である。リスト中,「墨梅図」「葡萄図」のような墨のモノトーンで描かれた文人画風の作品の存在はあまり知られておらず,濃彩の南頻派風の作品を中心に語られてきた雪斎像に若干の修正を迫る資料といえるかもしれない。もっとも,花鳥画において,南顔派風の作品が量的にも重要な位置を占めることは変わらない。リスト中,大部分の花鳥画は,南頻派風に属している。雪斎の画域の振幅の広がりを知るうえで,何点かの文人画風山水画の存在は興味深い。そのうち,資料的に着目できる作品をあげてみたい。「村長居宅図」は,三重県の桑名藩主松平家の菩提寺照源寺に伝わった作品である。雪斎はこの寺に親しく出入りしていたという。款記によると1797年(寛政9年)の閏正月に描かれている。様式的には中国の明清画を下敷きにし主題的には耕作図を意識したモチーフで構成されている山水画であるが,年紀に続いて「偶写於村長居宅之図」-151-

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